初めにツイートを見た時 真っ先に反射した感情は、
「せめてあと3日待って欲しかった」
11月いっぱいのライブの一切を中止した今、見送った今、
実質的な活動の自粛を決断されたこの期間で今問われるのは、
「何故、箱ライブと路上ライブを見送ったのか?」
「何の為の箱ライブと路上ライブの中止だったのか?」
という基本的かつ抜本的な疑問です。
自制と自粛、はたまた沈黙する事が【誠意】や【謝意】、【真摯さ】を見せる事なのかと問われれば、当然その限りではありません。
発信する事によって漸くお伝え出来る【お気持ち】や【真意】、【相互の理解】があるという事もまた確かです。
ですがそれは、
一度打ち出した【期間】を守った上で適用されるお話であり認識でもあるんですよね。
少なくとも彼らは、11月いっぱいの箱ライブと路上ライブの【自粛】を発表されておりました。
そこに例え如何なる理由や目的や、衝動や熱火があったとしても、
ひとたび皆さんと結んだ【覚悟】や【けじめ】を、
そして自らが吐いた唾を飲んでいい理由には決して成り得なかったんです。
僭越ながら個人的な観点をここに置かせて頂くのなら、
「応援して下さっているファンの皆様に感謝をお伝えする」という意味合いでも、
「チケットを受け取って頂きたい」という願いの上でも、
「まだ見ぬ【大切な方々】が皆さんと出会える切っ掛けをつくって行きたい」という切実な思いの中に於いても、
【箱ライブ、路上ライブ】と【配信ライブ】に明確な差異はありません。
同一の価値と同等の【重み】を持っているとも思うんです。
だから、「箱ライブと路上ライブの自制はしても、配信ライブは看過出来る」という考え方には私はどうしても至る事が出来ませんでした。
もしもあの方々が私と同じ見解で居て下さっていたとするのなら、
今月中の配信ライブの決断、決行につきましても相応の説明が不可欠だったと思うんです。
何故なら、11月いっぱいの箱ライブと路上ライブを中止した理由は少なくとも、
【自制】と【自戒】、そして自らの【誠意】を体現する為でもあったから。
その為の期間でもあった筈だから。
だからその【期間】を押してでも、
「姿勢」を見せる残りの数日間を前倒しにしてでも、
箱ライブや路上ライブと同等の【意味】と【価値】を成す11月中の「ライブ」を決行されたからには、
それに对を為せる「理解」と「納得」、
そして「賛同」を得られるだけの理由をお話する必要があった。
お話する【責任】があった。
そうでなければ、彼らが何故箱ライブと路上ライブを自粛したのか。
その根本的な理由を無視した事になってしまう。
【理解していない】事にもなってしまう。
覆水する事にもなってしまうし、
軽んじられていたとも思われてしまう。
その場凌ぎの対応だったとすら捉えられかねないと思うんです。
例えご本人達にそんなつもりは無かったとしても、
結果的に受け手へ向けてそういった印象を与えかねない選択を取ってしまう事になる。
少なくとも、「私」という一個人はそう思いました。
そう思わざるを得なかった。
【箱ライブ、路上ライブ】と【配信ライブ】の認識について、
もしかしたらあの方々には、私から見える視点とは異なる見解を持っておられたのかも知れません。
【路上ライブ、箱ライブ】は見送りでも、
【配信ライブ】なら行えるという揺るぎない理由と確信が。
自分なりに、私が今持ち得る視点と角度を総動員して此度の彼らの選択に賛同出来る【突破口】を探し続けてはいたんです。
【打開策】を模索してもいたつもりです。
何より「一ファン」として、
彼らの選択に心から賛同出来る自分で居たかった。
その為の裏付けが欲しかった。
彼らに【賛同】したかった。
だけど今日まで、その突破口を開く事は叶いませんでした。
裏を返せば、そんな中で私がアーティストの皆さんの告知ツイートを「いいね」や「RT」していたのは、
「応援したい」、「尊重したい」という願いの他に、
私個人が皆さんへ寄せた【期待】が同時並行していたからだとも思うんです。
実際の配信の中に、
彼らが選択を下した先に、
共に歩み進めて行ったその先に、
私や私と同じような心持ちを抱いておられる方々が納得を下ろせる【理由】を用意して下さっているかも知れない。
今回のライブへと踏み切った経緯を、
それにまつわる何らかのご説明を、
生配信の中でお話して下さるかも分からない。
あの一件を越えた皆さんなら、あの時間を踏まえた先の皆さんなら、
先日、皆さんが自らの口で私達にお伝えしてくれた【今後の姿勢】を体現して下さるかも知れないと、
そう期待していたんです。
それに何より、自分は皆さんを「見守る」と決めたから、
「見届ける」と結んだから、
身勝手に自分と確かに小指を切ったから。
今日のインスタライブからtiktokライブまでの一部始終を確かに見届けていました。
人づて ではなく、彼らの姿を自分の目で「知っていたかった」から。
これはきっと、私の「希望」でもあったんです。