年齢とは飽くまでも一つの【情報】であって【参考】であって、
お相手を知る上での経過に在る【手掛かり】に過ぎないのだと思うんです。
【経験】の前任が「記憶」や「思い出」という名前でもあって、
その後の考えや選択、影響といった【活かされる機会】を経た時に初めて「経験」へと呼び名を変えるものでもある。
だから個人的には「年齢=経験して来た年数」という風には素直に直結してはくれなくて。
自分から見える【年齢】の概念って、
それこそ「生きて来た年数」でもあると同時に、
【感情】や【気付き】や【彷彿】や【発展】を拾う「チャンスがあった年数」なんです。
時代を拓き、地盤を築かれて来た目上や先人の方々へ向ける畏敬の念こそ変わらずとも、
それとは一線画した話として、
「年上だから成熟しているだろう」とか「若いからこうだろう」等といった年齢が先んじた振り分けは、
時に本質を見る目や追求を遮光する「呪いの言葉」とも成り得るのだと思うんです。