キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

【自分】の代わりは居たとしても、【自分】の人生を担えるのは自分だけ。

今の仕事も役割も立ち位置も、自分の代わりはいくらでも居る。だから遠慮も謙遜も要らない。自分の代わりは沢山居ても、自分の人生は一つしかない。だから「私が居なくなったら」という【仮想現実】や【呪い】の椅子に囚われず、自分は自分が「信じたい」と…

弱者は僕のせいだから

物語が始まる弱者は僕のせいだからJ-Pop¥255provided courtesy of iTunes呼吸が変われば感情が変わる。感情が変われば表情が変わる。表情が変われば言葉が変わる。言葉が変われば考えが変わる。考えが変われば行動が変わり行動が変われば習慣が変わる。そし…

道を表す「しんにょう」に「兆し」と書いて逃げると読む。

「目を背ける」って、 【別の視点】に目を向ける、とも言い換える事が出来るのかも知れません。 「目を逸らす」って、 【見える範囲を広げる】という意味で捉える事も出来るのかも分かりません。 それまで向き合っていた物事から意識を手放すという事は、 …

【日常】を頂けている恩返し

ある程度 都会や都心に近しい場所であれば、例え真夜中でも街灯や電飾、ビルの窓明かり等で【真っ暗闇】を体験する事は稀かと思います。カーテンによる遮光や常夜灯等の消灯で即席の暗闇を生み出せる分、今の時代、【黒色】に限りなく近い空間を体感出来るの…

いや、どっから出たん。

総重量9kg程度の在庫品を肩下程の高さにあるスチールラックへ収めようとしただけなのですよ。出来ると思っていたのですよ。その自信とは相反し、棚の高さ迄引き上げようとした途端「ンンヴふ」みたいな出所不明のあられも無い声が噴出した上その現場を営業帰…

それは偏るという事ではなく【本懐】を見失わないという事

私はこの先も、楽な道も厳しい道も両方選んで行くのではないかと思います。そうやって自分の【真ん中】を常に目指し続けて行くのだろうと思うんです。それが【真綿の道】でも【茨の道】でも、どちらか一方向を選び続けて行くとしたら、多分、私は【真ん中】…

何でもない日に自分を捧ぐ。

昨日(3/14)は今年度分の有給消化でお休みを頂いていたのですが、休み明けの今日、全く予期せぬタイミングで会社の方からチョコレートを頂いてしまいました。ホワイトデーは昨日なのに。と言うかそれ以前に今年は誰にもチョコレートお渡ししていないのに。「…

気持ちに応えるという事は、必ずしもお相手の布いたレールに乗るという事ではないんです。

自身の気持ちを伝えた上で想いや意思表示を踏まえた上でお相手の【心の展開図】を明示して下さるのは嬉しいものです。「あなたがそう言うなら」や「傷付けるかも」といったお相手本位や謙遜での意見ではなく、「これを伝えたい」と思える程の労力をお相手に…

「手が見えている」が与える安心感。

マナーは何の為にあるのかと尋ねられたのだとしたら、自分なら「秩序」や「しきたり」、「公での作法」や「品格」の為と回答するその前に、お相手に「不快感」や「心理的な抵抗」を抱かせない為の術(すべ)や計らいを明文化したのが【マナー】というものの原…

母の味。

「最期の晩餐は何が良いか」と聞かれたら、今の自分なら間違いなく「母さんの握った塩結び」と答えるのだと思います。基本的に料理の苦手な母ですが、塩結びに関しては文字通り「炊き立て」のご飯でいつも握ってくれたんですよね。それが凄く美味しいから自…

2022.3.11

関東大震災も明暦の大火も、自分は【黙祷】をしたことが無い。黙する事は出来たとしても「悼む」ところまでは行かれない。この境界線はどこなのだろうと昼夜を舎かず時々考えることがある。聞く人が聞けば一笑に付す話なのかも知れないけれど、割かし私は本…

【見方】が変われば【味方】に変わる

見方を増やすということは、物事の受け口を増やすこと。解釈の窓が開くこと。そして価値観や概念が垢抜けること。尺度や角度や立ち位置を変えて見てみれば、それまで自分から見て「外側」にあった出来事が「内側」に収まっている事だってある。【見方】が変…

【不変(普遍)】の前には常に【変動】という歴史がある。

普段自分達が歩行や運転、通勤や通学に使用している平らな道。私自身も表現の一角で「平坦な道」という比喩を使った事がありますし、今後も汎用するレトリックの一つだと思うのですが。そもそも道って、凸凹している事が元々の「平凡」なんですよね。道が平…

「誰にでも出来る」という事と、「誰もがやる」のかという事。

「誰にでも出来る」という概念が実際に存在したとして、それを誰もが「やる」のかと言えばそうでは無いし、万人が【意欲】を伴えるものでも【心労】を賭せるものでもない。誰もが射貫こうと思える的じゃない。だから誰もが射貫ける的じゃない。何かを「やる…

【慈愛】は【自愛】

先日私が対応させて頂いたお得意先様から弊社宛に一本の電話があったそうです。 丁度自分は外出中でその場に居合わせる事は無かったのですが、 出先から帰社したタイミングで、営業さんが嬉しそうに通話内容を教えに来て下さいました。 「えみさん、〇〇(得…

【どうでもいい自分】なら「不安」を覚えたりなんてしない。

小一時間にも満たない短かな時間ではありましたが、ほんの少しだけ恋愛相談をお受けしていました。想いを寄せているお相手に不安な気持ちばかりを募らせてしまうという彼女。「何で私はこんなに弱いんだろう」と言っていたけれど、弱いんじゃなくて、自分を…

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