キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

「手が見えている」が与える安心感。


マナーは何の為にあるのかと尋ねられたのだとしたら、


自分なら「秩序」や「しきたり」、

「公での作法」や「品格」の為と回答するその前に、


お相手に「不快感」や「心理的な抵抗」を抱かせない為の術(すべ)や計らいを明文化したのが【マナー】というものの原文なのではないのかと、


そう答えるのだと思うんです。




例えば握手や軍隊で行われる刀礼は何故行われるのかと言えば、

それが友好や挨拶、

好意を示す動作であると同時に、


お相手に対して「敵意はありませんよ」という意思表示を見せる意味を持っていたからです。



握手により自らの手を制する事で、

あるいは刀礼で両の手をお相手の前に晒す事で、

「自分は武器を持っていない」

「何も隠していない」

「あなたに対して潔白ですよ」

という安心感を与えるツールの一つに成り得たんです。



転じて手を見せない事、

【手の「内」を見せない】事はお相手に与える「不審」と「不安」、

「警戒」や「緊張」へと直結する事を示唆していた。






腕組みをする動きに「隠し事」や「考え事」、

気持ちを悟られないようにと一定の距離感と自分のスペースを確保する心理がある、

というのはある程度有名かと思うのですが、


会社の上司でも後輩でも、

お取引先でもお店に来店されるお客様であったとしても、

腕組みをしたりポケットに手を入れるのは一種の「防衛」や「親しみ難さ」、

「不安感」というイメージとしてお相手の心に受動される仕草の一つに数えられます。



敢えての威圧感や断交の図を示す狙いがあるのであれば効果的な動きかと思うのですが、


だからこそ社会で生きる上での一般教養の一つとして、

厳しく指導や指摘がされて行くものなのだと思います。




それは学生や社会人

政治家や芸能人に関係無く、

他の動物よりも一際 心を重んじている【人間】という生き物として、

欠かしてはならない【素養】だからです。



そうした立ち居振る舞いの意味や人への配慮が基盤に根を張り、

初めて【睨み】や【斜に構えた姿勢】などの表現や演出、魅せ方は生きて来るのではないのでしょうか。





「人は見た目が9割」と言われる事もありますが、

例えばこれがお友達や、腹の中(うち)も気心も、

すっかり知れたお相手であったのであれば【無礼講】も適用されると思うんです。


見た目や口癖、手癖足癖といった「目で見える情報」を受けるその前に、

その方自身の本質や普段携えている心向きを相応に認知している仲ですから。

その上で言葉や行動が渡り合える関係として【結束】されてもいるのですから。


一辺倒ではなくあらゆる側面の一つとして、

その一面を分け合えてもいるのですから。


「分かり合えている」のですから。




ですがこれが初対面や、

まだあまりお互いの事を知り得ていない場合だと、


目の前の身なりや立ち姿勢がそのままその人自身のイメージとして結び付いて行く恐れを生む。

【一面】ではなく【全面】として、捉えられかねないんです。









ここから先は余談と言うか、

私事の色味と趣向、偏見が強い話になってしまうのですが、


今どきの学生の方々が意識されている制服の着こなしは恥ずかしながら把握出来ていないものの、

私が学生の頃って、男子の間で「腰パン」なるものが大変流行っていたのですよ。


ご本人達の価値観では「格好良い着こなし」として認知が確立されていたようなので、

そうした格好を選ばれていたのだと思うのですが、



中学から始まり高校を卒業するその日まで、

私の価値観は遂に腰パンの格好良さを理解する事は出来ませんでした。





注釈を挟ませて頂くと、

【ファッション】という括りで見れば服の着こなしも着崩しもその方の自由ですし演出ですし、

自分というものの表現力の一つですから、


第一に他者の理念や道徳心を押し付けるものでは無いんですよね。


しかしだからこそ、

自分から見える見え方や印象、価値観を憚るものでもないと思います。

それは強制やディベートや、【理解】の強要が目的ではなく、

シンプルに「自分はこうしています」という【認知】を目的とした意味として、です。




先述の「ポケットに手を入れてお話されている姿」にしても、

極論、私に取っては腰パンと同じようなイメージを心に抱いてしまうのです。

(勿論、寒さ等の防寒対策や、実際の心理的な防衛として用いられている場合はこの限りではないのですが)


当人はお洒落や格好良さを意識されていたとしても私に限った視点では、


お相手に与える心象や、

初めましてのお客様に「不安」や「隔たり」、「不快感」を与えぬようにという配慮に欠けた礼や社交に見えてしまう。


どれだけ優しくても誠実な方であったとしても、

その行為一つでたちまち翳って見えてしまう、


少しだけ残念な一瞬です。






こうした一連を踏まえると、

私に取っての格好良さや美しさって、

お相手に「不審感」や「不安感」を与えぬようにと努められる姿を指しているのかも知れません。


服装や髪型やアクセサリー、

格好や見目形というものは、




あくまでも前者に記載した【姿勢】が土台に据えられた上で際立てられる「らしさ」や側面で、

演出や装飾でもあるんですよね。




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