キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

生きる為の最後の【綱】

人は他人(ひと)の言葉だけでなく、自分自身の身から出た言葉にさえリアクションを起こせてしまえるもの。だから「疲れた」とか「休みたい」とか「もう嫌だ」とか、そうした言葉達を外に出してあげる事は、その分の【反動】をご自身や周囲に与える行為でもあ…

「祭りの後」よりも「革命前夜」

「夜明け前が一番暗い」という言葉がありますが、仮に今を【夜】として、これから【朝】を迎えるのだと自分の中で決めていたら、明ける朝よりも夜明け前を楽しみに感じてしまう自分が居たりする訳ですよ。まるで祭りを間近に控えた準備期間中の高揚感すら覚…

声が届く距離だからこそ、今自分達に出来ること。

ファンという立場だからこそ見える景色があるように、アーティストには、アーティストという【当事者】だからこそ見える景色と死角がある。だからこれは、烏滸がましく差し出がましい行為なのかも分かりませんが、彼等の【もう一つの目】となってあげられる…

【お金】に重みをつけるもの。

一握りの千円札に、果たしてどれ程の時間が宛てがわれて、 どれだけの【一部】がそこに置かれて来たのでしょう。 今この時って「もうここには戻らない」時間でもあるんですね。 後にも先にも「もう無い」最初で最期の一秒間。 皆が全員、そんな1日24時間と…

だから【アーティスト】であるそれ以前に【人間】である必要があるんですよ。

「アーティストは歌でしか感謝をお伝えする事が出来ない」 と、各歌い手様からお聞きする言葉ではありますが、 日頃の会話や立ち居振る舞いから【誠意】や【切実】、【真心】を感じられなければ、 その方のお人柄に重みを感じる事が出来なければ、 この歌す…

発言するという事は、それに伴う共感なり反感といった【リアクション】を甘んじて受ける事でもある。

「欲しい欲しい」と要求を続け、貰えなくなったら手を放す。「来る者拒まず去る者追わず」と言ってしまえば心象も変わるのかも分かりませんが、「貰える物は貰う」のではなく「与えられる物は与える」事が出来ないのは、それを拒まれた時の【擦過傷】や行為…

意志の伝達と聞く努力

ファンにはファンからの視点でしか観えない景色があるように、アーティストにはアーティストだからこそ観える景色と死角がある。それを伝え合う機会と時間、総じて【足並みを揃えられる場】を設けなければ、認識は擦れ違い、理解は誤解へと展開し、着いて行…

1.17を迎えて。

漢字の読解すら儘ならなかった当時。テレビを流れる「地震速報」の帯と字幕越しの市街地は、当時の自分に取ってまだ遥か遠い地の出来事だった。時を経て歳を重ね、「地元」と言う名の箱庭から出た先で、かつての渦中を生きた人々の生の声を聞く様になった。…

「諦める」へのタイミング

諦めるという事は「明らかになる」という事です。「無理」の定義は社会が決める事では無く、自分の中の【解釈】と【見切り】が大前提の話ですが、出来ないと分かった時もう無理だと踏んだ時人は初めて【諦める】発する言葉を失くした時は、自分が見切りを付…

指を差してはいけない理由。

対象の人物を指し示す時「人を指差しちゃいけません」と言う事や言われる事ってあるのではないかと思います。由来は諸説ありますが、もしも自分がこの理由を求められたとするのなら、私はきっと「お相手に【威圧感】を与えるから」と答えるのだと思うんです…

心身の循環の為に必要な術

少なくとも自分の場合、【心の精算】は【言葉の生産】でしか果たす事が出来んのですよ。

与えられるものは与えてやれ。

思考でも筋力でも、【体力】を持て余すのではなく傾けられるお相手が居るというのは、自分自身へ注ぐ事の出来る【充足】でもあるんですよね。浪費ではなく消費出来る人が居る。徒労ではなく疲労で在れる自分が居る。貰えるものは貰うのではなく、与えられる…

知識とは意識の【改革】です。

スーパーやコンビニで偶に頂く割り箸って、作りや材質によっては真ん中で割り易い物や左右どちらかに偏って割れ易い物など色々あるかと思うのですが、私が小学生の頃、この割り箸の割れ方によって好きな人に想われているかを占うという遊びが一時期流行した…

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