ファンにはファンからの視点でしか観えない景色があるように、
アーティストにはアーティストだからこそ観える景色と死角がある。
それを伝え合う機会と時間、総じて【足並みを揃えられる場】を設けなければ、
認識は擦れ違い、
理解は誤解へと展開し、
着いて行く事すら儘ならなくなってゆく。
これはファンとアーティスト間に限った話と言うよりも寧ろ、
活社会に於ける人と人との【コミュニケーション】の問題なのだと思います。
知る事が出来るから喜ぶ事も怒る事も叶いますし、
その先の和解や解釈へと転じて行く事も出来るんです。
人は知る事が出来て初めて【人】に寄り添える。
気持ちを持ち合う事も理解に努める事も可能になる。
そのスタートラインに立つという行為を許される。
今忘れたくないのは、
サプライズとは伝達の欠如ではないという事。
そして「着いて行く」とは、
言われた事に付き従う事では断じてないという事です。