漢字の読解すら儘ならなかった当時。
テレビを流れる「地震速報」の帯と字幕越しの市街地は、当時の自分に取ってまだ遥か遠い地の出来事だった。
時を経て歳を重ね、「地元」と言う名の箱庭から出た先で、かつての渦中を生きた人々の生の声を聞く様になった。
そうした人々が恩師となり後輩となった。
震災を知らない世代や「風化」という声がポツリポツリと気泡を立てて行く中で、
それでも少なくとも自分に取って、
27年前の災害は、
【27年前】よりももっとずっと身近な出来事になっていた。
戦禍も災禍も肌で感じる機会の希薄だった自分に取って、唯一出来る歴史の継ぎ方が【人に出会う事】なんです。
それはその人の【踏み跡】に触れる作業でもあると同時に、
その人を育てた環境や土地、ひいてはこの国の【一分】を知る事へも通じていく。
だから出会い方は対面でも良いし本でも良い。
聴くでも観るでも良いんです。
人に出会う事はきっと、
その人の歴史を「その人だけの歴史」にしない事だと思うから。