キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

今日の路上を終えて。


今の環境下関係無く、

深夜23時過ぎ。人の往来も疎らになってゆくこの時間帯に大勢の若者達が道の上に留まっている。



只それだけで、何も知らない道行く人々から見れば些か異様な光景なのではないかと思います。

それは、巡り巡って【路上】そのものへ対する心象やイメージを大きく害する結果にも繋がるのではないかと一抹の不安が過ぎりました。


例えば私が会社帰りに、

同じ時間帯に路上で集まられている若者を見掛けたとしたら、やはり良い心象は受け兼ねます。


ご家庭の事や終電も気に掛けてもしまうし、

恐怖を感じてしまう事もあると思う。


「治安の悪さ」という言葉に脳内変換されてしまうのかも分かりません。




【自分達】を届ける為に、

そして皆さんへの感謝を贈る為の歌が自分達の肩身を狭くしたり【道】を奪ったり、


この先、自分達と同じ夢を目指すであろう後世の若者達の【路上】という手段を、居場所を、

「夢」を奪う事になってしまうなんて、そもそも本意では無いんです。


「夢」を与えられる人が、

「夢」を継いで行ける人が、

「夢」を目指して良いのだと希望を渡して行ける存在が、「夢」を奪う存在になってしまってはまるで本末転倒なんです。


それこそ、自分達の望む景色では無い筈です。




歌を届けたい気持ちは分かる。

煮え切れない心も燃焼し切れない思いも、

届かせたい声もその手も全部分かる。

分かるからこそ、自分達の身体を生活をファンを居場所を、

守れる腕の範囲を知っていて欲しいと切に願うんです。




限界値の底上げを測る為にも、

自分の「ここまでなら行ける」、「ここまでなら【遊ぶ】事が出来る」という許容範囲を知る為にも、

無理をする事は必要。


だけど無理を押すこと、無理を押させることはいつか【ひずみ】を生んでしまう。

【ガタ】や【皺寄せ】を呼んでしまう。



昨日路上で初めてお会いしたファンの方に、16歳の女の子が居ました。

高校二年生。未成年です。

その事実を知ったのは、23時半を大きく過ぎた帰りの電車内でした。


子を心配する親に、日付を跨ぐ時間になっても帰らない我が子に何も言わない方は居ません。

激昂されない方もそうそう居ません。


例に漏れず、その子も電話越しにこっぴどくお叱りを受け、お迎えにも来て頂けなかったそうです。




深夜の夜道。ましてや若い女の子です。

強姦ひったくり通り魔誘拐。

幾らでも横行する世の中で、

例えこの子の身に何かあったとしても全て自己責任。

寧ろ夜更けまで出歩いていたその子や親には、

世間からの心無い声が向けられるのかも知れません。


その子に代わって罰則を受けられる方は居ません。

残るのはただ、後悔や罪悪感やトラウマだけ。




ファンの方も、本当は時間ギリギリまでアーティストの方とお話がしたいと思うんです。

写真も撮りたいしグッズも欲しい。

サインだって書いて欲しいしなるべく大好きな人の傍に居たい。

皆そうです。当たり前です。


ただ、自分達が残る事で、

自分が応援するアーティストへ向ける人々の目が批難や軽蔑に代わってしまう事なんて決して望んではいないんです。


ファンと同じようにアーティストにも、翌日のスケジュールや仕事や調整がある。

その為の【休息】が必要になる。


だけどアーティストの方々だって、ァンを大切にしたいんです。



自分を応援してくれる、支えて下さる皆さんと沢山交流したいんです。お礼を伝えたいし絆を深めて行きたいんです。




だから、ファンの方が傍に居てくれるなら、

交流を求めてくれるなら、

自分の都合や予定を後ろ回しにしてしまうんです。


時間を押してしまう。

予定を押してしまう。

無理を押してしまう。


大切にしたいからこそ、皆さんを優先してしまう。




一日24時間しかない時間の中で、一つズレれば全てがズレ込んで行くのは必然。

時間のみならず、全部が乱れて行くんです。



時間の管理が出来ない方に、

良いパフォーマンスを続ける事はきっと難しい。


体調の管理を守ってあげられない方に、

誰かの身体を守ってあげられる程、

「守る」という行為は容易ではない。



アーティストの皆さんも、

「ファンの方を大切にしたい」と思って下さるからこそ、

「守りたい」と思って下さっているからこそ、

慮って下さる優しい方々であるからこそ、


【心】を鬼にして欲しい。

【遠慮】では無く【配慮】であって欲しい。



「優しさ」と「甘さ」は違います。

優しくなければ、心を鬼にする事なんて出来ないんです。

だから、皆さんとの交流する時間一つ取っても、

自分と皆さんを守れる時間、その許容範囲を設けられる人で在って欲しいと思うんです。





100%を目指す事は必要。

100%を目指す為に、時に何かの時間を代替する事もまた必要。

だけれど100%を目指す為に、何かの時間を潰え「続けて」しまったら、


例えパフォーマンスは100%であれたとしても、

一日のトータルは100%になれるでしょうか。

「表現者」として以前に「人」として、

100%を目指せていると言えるのでしょうか。



「100%」って、睡眠や休息、活動以外の時間も含めて初めて100%のパフォーマンスを目指せると言えるのだと思うんです。



時間の管理と体調の労り、そして周りへの配慮。

それが「人としての基盤」です。




資本である身体がなければ、

応援する事も叶いませんし表現する事も間々なりません。



アーティストの体調を守るのがファンの務めであるならば、

ファンの生活を守るのもまたアーティストの務めの一つです。



今後はアーティストと皆さんの「交流」という時間についても考慮して行かなければいけない。

そういう時期に差し掛かって来たのかなと、


今日路上で居合わせた方と話していて改めて思わされたのでした。



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