キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

どれだけ空っぽな言葉でも、その言葉には受け手の生き血が通うんです

 

これから書く文章は、ライブ配信アプリ【pococha】のとあるコミュニティ内で書かせて頂いた私の思いです。

 

一部改編した部分もありますが、

これは配信アプリだけで無くSNS全般に関して言える事でもあると思い、呟かせて頂きました。

 

毎度ながら長文乱文の感覚的で読み難い文面ではありますが、ご了承頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

誹謗中傷という行為は、その言葉ひとつ行動ひとつが相手や周りの方々の心に傷を付けると同時に、

その発言者本人の価値に自ら【疵】を付ける行為でもあると思うんです。

 

自分の人としての価値を卑しめ、命の価値を貶める。

だから皆、その人から離れて行く。

その人と接点を持つものから逃げて行く。

 

ネガティブなものを貰うから。

負の感情は簡単に伝播してしまうから。

 

なるべく関わらないよう距離を置き、

傷付かない間隔を保ち牽制し、

そうして身の安全を確保して、

 

やがてその人を独りにする。

 

 

それは、物凄く悲しいスパイラルだと思うんです。

 

こうしたSNS上の顔が見えない中でのやり取りに於いて、

直接対面して話すよりも「気が大きくなってしまう事」って、きっとあると思うんです。

 

でもそこから返って来るリアクションも、

相手を傷付けるという言動も、

そこから受ける自分への報いも、

そこに存在するものって、きっと一貫しています。

 

 

対面だろうと文面だろうと、

そこからもたらす結果って、何一つとして変わらないものだと思うんです。

 

 

寧ろ顔が見えないという事実が、

本名も分からず素性も知れないという余りにも無機質な現実が、

 

ある種の薄気味悪ささえ与えながら殊更に相手の心へ重いものを根付かせてしまう事だって往々にしてあるんです。

 

 

後ろ向きな言葉というのは、

前向きな言葉以上の浸透力と洗脳力を持っています。

 

それが例え、どれ程の虚言で上っ面だけの発言であったとしても、

 

言葉には必ず魂が宿るものなんです。

 

 

どれだけ がらんどうな言葉でも、

それが【言葉】として生まれた途端、

そして「それ」が受け手の耳へと届いた時、

心へ放られた瞬間に、

 

否が応にも心は受動するものなんです。

 

 

本人の意思とはまるで関係無く感情を灯すものなんです。

 

どれだけ空っぽな言葉でも、

その言葉には受け手の生き血が通うんです。

 

 

だから「言霊」と言う呼び名があるのだと思うんです。

 

だから「心無い」言葉でさえも、容易に人を殺すんです。

 

 

言葉とは、

言霊とは、

元来それ程の影響力をその身に孕むものなんです。

 

自分が口にした発言は、

いつか間違い無く自分自身へ返って来ます。

 

「因果応報」

 

先人の言葉は意味無く遺されるものでも無ければ悪戯に語り継がれるものでも無いと思うのです。

 

そこには必ず必然性が有り、

遺されるべくして遺される。

 

 

 

それだけの意義有る言葉だからこそ、

後世まで語り継がれる意味が有る。

 

自分の身から出た小さな棘は、

いつか必ず自分自身を孤独な未来へ繋げます。

 

 

だから言葉を口にする前に、

 

「自分がその言葉を言われたらどう思うか?」

 

 

そう一拍置いて、【自分自身を顧みる時間】を自分に充ててあげる事が必要なのだと思うんです。

 

 

子供の頃から言われていた基本的な事かも知れませんが、

その【基本】が物凄く大切な事なんです。

 

基本的な事だからこそ、自分の土台を作るものだと思うんです。

 

 

ほんの些細な意識付けが自分を変えて行けるんです。

 

そうして自分が変わるから、

周りの心も変わって行けるのだと思うんです。

 

 

「自分がやられて嫌な事はやらない」

 

そんな基本的な心掛けを、一人一人が自戒して心に留めていけたら良いなと、私個人は思っています。

 

 

私的な話で恐縮ですが、私自身ももう若くはないので、

ポコチャの配信内で年齢に関する心無い発言を受けた経験も少なからず持っています。

 

あれはきっと、世間一般的に言う「誹謗中傷」の類の内に入るのでしょう。

 

 

只、私はこの年齢に至るまでの人生に誇りを持っていますし、生半可な経験を積んで来たつもりもありません。

 

これまで積み上げて来た経験があるから今の私が在って、

今の私がここに居るのは、生きる事を諦めずに積み上げて来たこれまでの私が居るからです。

 

 

だから私は、今の自分が大好きだし、

今までのどの自分よりも自分に誇りを持っています。

 

年齢の高さは誇り高さの数でもあるとも思っています。

 

 

だから、どれだけ中傷する様な発言を受けたとしても、正直心に響かないんです。

 

だけど、それと「中傷的な発言を許すか否か」は別問題です。

 

 

何故なら、ネガティブな発言は周りの心にも影響を与えるものだから。

そのたったひと言で、人の気持ちに影を落とすものだから。

 

重くしてしまうものだから。

 

 

時間は有限であって、共有する事こそはあっても奪うものでは無いと思います。

捧げる事こそあろうとも、削ぎ取るものでは無いと思います。

 

【今】しか無いその人の時間を、

悲しみや苦しみに染め替えてしまう権利なんて誰一人として持ってないんです。

 

 

本当は、こういう時代だからこそ、

こうした配信を通して誹謗や中傷をしてしまう方々へ対し【気付き】の切っ掛けを与えてあげたい。

 

 

私個人は烏滸がましくも、そんな事を考えています。

 

【今この瞬間】を、自分が変わるタイミングとして転換させてあげたいとも独り善がりに思っています。

 

例え「偽善」と言われようと。

それがどれ程の「綺麗事」であったとしても。

 

なるべくは自分を振り返る為の選択肢を選んで見付けて諭して行ってあげたいです。

 

 

どれだけ微力で非力で力足らずで無力でも。

 

但しその切っ掛けを、そもそもその人本人が掴むつもりが無いとしたら。

変わるつもりが無いのだとしたら。

 

周りの方々の時間を奪う時間にしかならないのだと判断したら。

 

 

そうせざるを得ない状況にまで縺れ込んでしまったら。

 

その時は、輪から切り離す【然るべきタイミング】なのだとも考えています。

 

 

時間は常に死へ向かって削られ続けているんですから。

 

転換の切っ掛けを「甘えが許される時間」と誤認し、

チャンスを無下にする人一人の為だけに、

大切な人達の掛け替えの無い時間を費やせ続ける訳にはいかないというのも私の正直な本音です。

 

 

私がお世話になっているポコチャの配信者の皆様は、本当に優しい方ばかりです。

 

どんな時も笑顔でひたむきで温かく、

自分の芯を持っていて目指す景色を持っています。

 

観る人の心に安らぎを与え、

聴く人の心に穏やかな時間を共有させてくれるんです。

 

どんな時でも私達の心を支えてくれて、

また私達がその人の心を支える事を許してくれる。

 

それを誇りだと伝えてくれて、

財産とすら言ってくれる。

 

掛け替えもなく失い難い人達です。

 

 

 

とある枠の配信者さんは、まだ学生で若いのに、

葛藤も苦悩もきっと沢山あるだろうに、

そんな心無い声から懸命に皆を守ろうと奔走して下さっていました。

 

思慮分別を欠いた発言を放つリスナーの方々へ対しても、

その度に助言し忠告し、大切に言葉を選びながら聞く人の気持ちを慮ってくれました。

 

そうして常に皆さんの心を守ろうと力を尽くしてくれました。

 

 

そんな配信者さんが、ある日心を鬼にして言ったんです。

 

 

 

「3度目はない」と。

 

 

 

 

あんなに優しい子を鬼にさせてでも、

こんなにも温かな方々に辛い言葉を選ばせてでも、

 

それでも尚変わる気が無いとするのなら。

言葉の痛みと向き合うつもりが無いのなら。

 

本当に残念で無念な選択ではありますが、

やはりそれ相応の対応をさせて頂く事もやむを得ない事だと思っています。

 

 

 

なるべくそんな結果には繋げたくないです。

 

いつも応援して下さっている方なら尚更。

 

 

大好きな人達を支えて下さる方々を大切にして行きたいです。

ちゃんと守って行きたいです。

 

 

優しくて温かな空間は、ひとりひとりの協力無くして決して作れはしないんです。

 

今や誰もが利用するSNSという世界で、

「関係無い」人なんてそれこそ一人も居ないんです。

 

誰もが無自覚に呆気無く、

被害者にも加害者に成り得てしまうものなんです。

 

 

 

この些細な切っ掛けと意識付けが、

今よりほんの少しでも温かな未来へ繋がる事を、

 

 

心から願って止みません。

 

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