キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

【発言】とは【発現】であり 自らが起こした発言とは自らが決した言葉でもある

 

以前までは「根付く」や 「貫く」といった言葉達を頻用していた自覚があるのですが、

 

最近はそれらと並んで「幸せ」や「結ぶ」、「今を生きる」や「心を置く」といった言葉運びを意識的に汎用する様になりました。

 

【発言】とは【発現】であり

 

自らが起こした発言とは自らが決した言葉でもあります。

 

 

自ら発言するという事は、

自らの発言を聞くという事でもあります。

言うと同時に聞いている。

 

それはつまり、

インプットとアウトプットを同時に行っているという事でもあるんですよね。

 

人の心は聞いた言葉によって反動し、

自分が言った言葉によって未来を動かす力を持ちます。

 

そして相手からの発言によって自らの心が変化して行くのと同じ様に、

自ら放った言葉によって自らの心は受動します。

 

それはつまり、

「自分で自分にリアクションを起こしている」と言い表す事も出来るんですよね。

 

詰まるところ、自らが開示した言葉には、

自分の心体両者を同時に動かしてしまえるだけの【起動力】というものが備わります。

 

それは時に「源流」と呼び「切っ掛け」とも言い、

「弾き」とも称し「起点」と名付ける事も出来る。

 

【口火を切る】というその言葉にある様に、

言葉は行動の導火線です。

 

思い起こし言葉を興し、

言葉の威を借りて体を起こす。

だから言葉には【原動力】が有り、

未来を動かす【起爆力】を持つのだとも思います。

 

おのずから紡ぎ出した意思ある声には、

自らの心を動かし、自らの体を物理的に動かすだけの【意力】を持っているという事でもあるんですよね。

 

 

下方修正を施すも上昇志向を掴むのも、

その場所へと自分を誘うのは結局のところ自分です。

 

自分を引っ張るのは親でも恩師でも友達でもなく、自分の意思です。

 

自分を選ぶのは自分ですし、

自分を動かすだけの「意志」を自分に持たせる事が出来るのは、

「唯一」のひとりだけ。自分だけです。

 

手網を引くのはその身から伸びたその手であり、

測らずともピンを刺すのは、心に比重して軸足を踏んだ方角です。

 

自らを引率するのは、

自分が「そうであろう」と解釈を踏む事で心に起こる感情であり「心の向き」です。

 

今現在の心の向きや目指して行きたい場所、

みとどまりたい剣ヶ峰。

 

自分で【自分】を顧みる一つの手段として、

自身の言葉、口癖を回顧してみるというのは一つの取っ掛りになると思うんです。 

 

何に着目し重きを置くのか。

そこに一体、如何程の分銅を載せているのか。

今自分が何を根差し、

どこに指針を据えているのか。

 

「こうありたい」と想う姿。

転じて、未来へ置かれた自分の姿というものは、

その時々の自分が好んだ言い回しや、口を突く台詞、

 

無視出来ない文字の並びや、着目した文面の一列、

口癖になる程に自らを占めた言葉によって、 

 

 

 

こうも顕著に見知る事が出来てしまうものなんですね。

 

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