キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

物事の「善し悪し」を振り分けるもの。

 

人が通れば空気も流動する様に、

 

水面に足を入れれば波が立つのと同じ様に、

 

 

 

言葉や行動を起こせば、その反応が自らへ【還元】されるのが自然なもの。

 

 

 

 

 

言い換えれば、言動なり感応なり「反応」を頂けるという事は、

【今】を動かした自分の発言や一挙手一投足をその人が「見ていてくれた」という事です。

 

「嫌い」という一見後ろ向きな一言も、

その方が歩まれて来た環境や編み出された感情や、

学校生活での交錯や家庭で過ごされた摺り合いといった所謂【人生】の中で捻出された【最も腑に落ちる一言】だったのかも知れないし、

 

今出せる最大限のメッセージで身を切る様に出された一音だったのかも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前で起こる波風も笑顔も見解も、

 

それに対して「是非」の振り分けをしているのは極論【自分の心】です。

 

 

 

日常を動かす毎に寄せては返す大波小波を「拘束」や「不自由」や「生き辛さ」だけでなく、

【物事を行う上での景観の一つ】と解釈する事が出来たなら、

 

 

 

 

 

今以上に「正解」、「不正解」を区分けるものも減るのだろうなと思うんです。

 

 

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