キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

自慢とは、決して傲慢では無いんです

 

【自慢する事】って、日本人は特に敬遠しがちなんですよね。

 

 

それって、自らを『誇る』事は『驕る』事と同義語の様に感じられている方が多いからなのかなと私は解釈しているんです。

 

「自分は他人とは【違う】」のだと、

驕り高ぶる事を『自慢』と言うのだというスタンスの方が多いからかも分からない。

 

 

だから自らを率先して誉める事に消極性や快くないイメージが先行しているのかも知れません。

 

でも自慢って、実際【他者との違いを誇るもの】だと思うんです。

 

「自分は貴方とは違う」という表現と、

「貴方は自分とは違う」という表現を同時並行で持っている言葉でもあるのではないかと思っている。

 

 

「貴方は私とは違う。だから貴方は素晴らしい」

「私は貴方とは違う。だから私も素晴らしい」

 

 

これらは飽くまで私独自の主観であってスタンスですが、

【自慢】って、自己の確立と同時に相手の自己を確立させる言葉でもあると思うんです。

 

【他者との差異を主張する】って、

それ自体が自分と相手の違いを尊重する言葉でもあると思うんです。

 

「貴方と私を称える」と言う行為が、

【自慢】という一言には含有されているのではないかと思います。

 

だから私の場合、自慢は大いに賛成ですし、

自慢し合えるなら大歓迎。

 

 

自分を受け入れて貰えると肩肘に張った緊張も解けて行きますし、

緩まった心の分だけ相手を受け入れる許容も出来る。

 

自分の話を聞いて貰えると、相手の話も能動的に容受したくなるものです。

 

互いを認めて両者を高め合えるって最高の相乗効果を生むんですよね。

 

 

 

自慢とは、決して傲慢では無いんです。

 

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