「愛する」とは「許す」ことだと思うのです。
「愛する」とは、
その人の【良い所】に惹かれる事では無く、
その人の【欠点】や【至らない】箇所を許容する事だと思うのです。
人は凸凹だからこそ噛み合って行ける生き物ではありますが、
しかしそれは、
自動的に必然的に絶対的に、
自然と自ずと噛み合える仕組みを成して行ける訳でも無いんですよね。
それはさながら歯車の様に。
凸の様に突き出た分は凹が包み込む様に受け入れて、
凹の様に足りない箇所は凸が埋め合わせる様に補って、
そうして【認め合う】事が出来て初めて、
嵌り合い噛み合える関係性を結び合う事が出来るのだと思うのです。
絆を結んで行く事が出来るのだと思うのです。
足りない箇所を指摘して、
突き出た部分を切除して、
そうして互いの【悪いところ】を直し合うばかりでは、
「こうして欲しい」という自分の【期待】を相手に求めるばかりでは、
いつしか互いを「許す」事すら出来なくなってしまうんです。
愛する事すら出来なくなってしまうんです。