キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

【自分】を愛するのは自分にしか出来ない事で、 あなたにこそ許された事なんです

 

自分が自分を愛する事に理由なんて要らない。

 

 

そんなもの要らない。必要ない。

 

 

理由を探すという事は、

それと同時に「理由に出来ない理由」を選別するという事でもある。

 

自己否定の材料を自ら見出す事でもある。

 

 

自分を認める為の作業の筈が、

気付けば自らを否定する理由付けを挙げ連ねる事になる。

 

自分を選別する事になる。

自らを裁く事になる。

 

 

だから理由なんて要らないんです。

 

必要ないんです。

 

 

この世に産まれた瞬間から、

人は一人一人が最高傑作なんです。

 

 

余りにも奇跡で狂おしくて、

他に類も無く模造も無い。

 

嫌悪も憎悪も哀愁も笑顔も、

 

 

全部丸々引っ括めて、

一縷の取り零しも無く涙が出る程そのまま愛の塊です。

 

只一つの研ぎ澄まされた、尊ぶべき一粒石です。

 

 

 

この唯一無二の結晶のどこに批点を打つ事が出来るのですか。

 

否定要素を見出す事が出来るのですか。

見付ける事が出来るのですか。

 

何をどう見て「否定箇所」と断定する事が出来るのですか。

 

位置付ける事が出来るのですか。

指差す事が出来るのですか。

 

 

たった一人の、これ以上も無くこれ以下も無い、

比べるべき物も、比べられるべき物も在りはしない。

 

一切在りはしないのに。

 

 

 

それなのに、何を比べると言うのですか。

何と比べられると言うのですか。

 

一体どこに見境を付けているのですか。

どこと比べているのですか。

 

あなたは何を見てるのですか。

 

 

 

あなたはあなたしか居ないのに。

この世に一人しか居ないのに。

 

たった一人しか居ないのに。

 

否定されるべき自分なんて、

この世に一人も居ないんです。

 

 

もしもそれでもどうしても、

自分を愛する理由が必要なのだとしたら、

無ければいけないのだとしたら、

無くては居られないのだとしたら、

 

挙げられる理由は一つです。

 

 

「自分が自分として産まれたから」

 

「自分として産まれたのは自分だけしか居ないのだから」

 

 

そこに、自分が自分を愛する理由があります。

愛されるべき理由もあります。

 

自分を愛してくれる人は、きっと沢山居るんです。

 

家族や友人、先生や恩師、そして恋人。

沢山沢山居るんです。

 

それでも、今自分が自分に「苛ませている」憎悪や嫌悪、

自分の根から溢れる自分が抱える劣等感。

 

それらを総て知る事が出来るのは自分だけしか居ないんです。

端から端まで、

隅々まで、

 

どこもかしこも余す事無く知れて気付けて落ち込めるのは自分一人しか居ないんです。

 

 

 

苦しみも悲しみも憎しみも、

嫌悪も辛さも劣等感も、

身から出た感情何もかもを「落ち込む」と言う形で享受する事が出来るのは、

 

自分一人しか居ないんです。

 

心底自分を思い知るのは、

どうしようも無く自分にしか出来ない事なんです。

 

「自己嫌悪」と言う形で、

或いは「自責の念」と言う形で受け入れる事が出来るのは、

向き合う事が出来るのは、

 

自分一人しか居ないんです。

あなた一人しか居ないんです。

 

 

 

自分一人しか居ないと言う事は、

そんな自分を愛す事が出来るのも只の一人しか居ないんです。

あなた一人しか居ないんです。

 

だからあなたは誰よりも愛すべき存在であり、

何よりも愛されるべき存在なんです。

 

 

自分が自分を愛するのは自分にしか出来ない事で、

あなたにこそ許された事なんです。

 

「落ち込む」という感情も、

「悩む」という情動も、

実は物凄くエネルギーを使う事なんです。

勇気を要する事なんです。

 

「落ち込む」とは苦しい事だから。

「悩む」とは呼吸を奪う事だから。

 

底冷えする程の地獄だから。

身を焼く程の煉獄だから。

喘いでもがいて這いずって、

嘆いて堕ちて掻き毟って、

 

 

 

そうして何度も何度も繰り返し跳ね返り七転八倒する有象無象の苦しみだから。

 

それだけの苦行を、自分が自分へ課す事だから。

 

自らへ強いる事だから。

だから「落ち込む」事が出来るあなたは、

「悩む」事が出来るあなたは、

 

実は物凄く強いんです。

 

 

苦しみと向き合う事の出来るあなたは、

 

とてつもなく勇気を持った人なんです。

 

 

 

苦しむ事の出来るあなたなら、

苦しみと向き合えるあなたなら、

苦しみを受け入れられるあなたなら、

 

そんな自分を愛する事だって必ず出来る筈なんです。

間違いなく出来る筈なんです。

 

確信を持って言えます。

 

断言出来ます。

 

 

どれ程の慰めを受けようと、

心打つ励ましを貰おうと、

それらがどれだけ原動力や活力源に成ろうとも、

 

最後に動くのは自分です。

 

最後に選ぶのも自分です。

 

自分をどん底へ落とせるのが自分なら、

救えるのもまた自分です。

 

 

最後の最後に自分を守る事が出来るのは、

一片の違いも無く自分なんです。

 

 

愛する事は、許す事です。

 

 

 

自分を許す事で、同じような苦しみを抱える方を認める事が出来るんです。

 

劣等感に苦しむ方々の心を肯定する事が出来るんです。

自己嫌悪に苛まれる方々の心奥に触れる事が出来るんです。

 

自分を好きになれない方々の心に寄り添う事が出来るんです。

 

 

 

そうして許す事が出来るんです。

受け入れる事が出来るんです。

 

 

自分を許す事が出来るから、

相手を許す事が出来るんです。

 

自分を認める事が出来るから、

誰かを認める事が出来るんです。

 

自分を肯定出来るから、

その人を肯定する事が出来るんです。

 

 

資本はいつだって自分です。

 

愛するのも許すのも、

認めるのも肯定するのも、

 

一番最初は自分です。

 

 

根を張るのも、

地盤を築くのも、

基盤を固めるのも自分です。

 

 

自分が総ての始まりであり、

 

自分から総てが始まるんです。

 

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