キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

【異変】は不変を保ち続け、 不変は時を経て普遍と成り日常と成る

 

副音声機能の様に、

 

配信アプリにも字幕機能が付いてくれたら素敵だなぁと思ったんです。

 

 

スマホの聞き取り機能の様に

言語を文面へと即時変換してくれたりだとか、

 

或いは、骨伝導イヤホンの様に

骨や皮膚から伝わる振動を利用して、

言葉や音楽を感知出来る様な機能が備わってくれたら嬉しいな、と。

 

 

そうしたら、より多くの方々が配信者やリスナーとの交流や音楽を楽しめる日がやって来るんじゃないかなと、

 

そんな事を取り留めも無く思ったんです。

 

 

 

これはもしかしたら聞く人によっては、

一見、机上の空論の様に感じられる言葉なのかも分かりませんが、

 

【創造】とは常に、幻想や夢想といった

【想像】から端を発して行くものなのだと思うんですよね。

 

 

【想像】なくして【創造】は生まれない。

 

 

 

それこそ、今からほんの二百年前まではまだ空想の話だったであろう、

 

遥か遠方の景色や人々の姿を投影出来る【テレビ】という代物が、

今ではごく一般的に日常の風景へ溶け込んでいるのと同じ様に。

 

僅か百数十年前までは絵空事の一つだったかも分からない、

何百キロ、何万キロとも遠く離れた未知の土地へと、

 

一日と掛からず移動する事を可能にした【飛行機】という空飛ぶ鉄の塊が、

 

現代では至極当たり前に世界の空を統べているのと同じ様に。

 

 

 

【想像】する事が出来るものって

必ず【創造】して行く事が出来るものだと思うんです。

 

だって「思い描く」って、

この時点で既に【設計図】をその頭に展開出来ていると言う事でもあるんですから。

 

 

そしてそれはきっと、人の【夢】も同じです。

 

 

人ひとりが携える【希望】や【理想】と同じなんです。

 

例えどれだけ「異端だ」「異常だ」と揶揄されても

 

「出来っこない」と批判を買っても

「現実を見ろ」と罵倒を浴びて来ようとも、

 

 

【異変】は不変を保ち続け、

不変は時を経て普遍と成り日常と成る。

 

 

 

 

そうして最後に歴史を動かして来たのは、

その時代の「異端」と呼ばれた方達です。

 

いつの世も時代に風穴を空けて来たのは、

 

無理だ無茶だ無謀だと言われ取り付く島も無く一笑に付され、

「笑われ者」として取り巻かれて来た方達です。

 

「誇り」を「埃」として掃き出され、

「弾かれ者」と後ろ指を指され続けて来た方達です。

 

「アナクロニズム」と侮蔑の声を受けようが、

 

「ユートピアン」と疎まれようが、

 

 

 

【普通】と呼ばれた逆行の世界で「信じたいもの」を信じ続け

そうして歴史を動かして来たその時代の変革者達を、

 

一体どうして笑う事が出来るのでしょう。

 

 

その道を次ぐ現代に生きる意志達を、

 

どうして打ち払う事が出来るのでしょう。

 

 

 

一波纔かに動いて万頃随う(いっぱ わずかに うごいて ばんけい したがう)

と言う言葉があります。

 

【一つの波が起こると遥か遠くまで及んで行く】

【小さな事が大きな影響を及ぼして行く】

 

そんな意味を記し残した言葉です。

前代を生きた先人達の言ノ葉です。

現代へ継がれた遺言です。

 

柔く芽吹いたさざ波が、風と共に波紋を集め潮流し、

遥か先で大きな波として大陸へ及ぶ事がある様に、

 

たかだか一人から端を発した淡い夢が、

雑踏の中で人の輪を寄せ結束し、

 

やがては見逃し切れない【人垣】として盤石の地をも揺らすんです。

 

 

雨垂れの様に仄かな意志が、

 

 

 

いつか堅牢な岩をも穿つんです。

 

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