コロリや肺病、スペイン風邪に天然痘。
今よりほんの少し昔、或いは遥か昔の方々が乗り越えられて来た災害や感染症。
当時はその場ですぐ連絡を取れる様な媒体は確立されてもいない時代で、
会いたい人に会う事はおろか、
連絡一本叶わなかったその頃の人々は一体、どれほど心細かっただろう。
どれほど不安で、どれほど胸を詰まらせて、
どれほどの眠れぬ夜を越えたんだろう。
だからこそ殊更に思う。
どれだけ災害に遭っても会えない夜が続いても、
電話やメール、SNSを介して会いたい人の顔が見れて近況が知れて、
地球の裏側からでさえ繋がって行ける【糸】があって、
連絡する事も声を聞く術も【生活の基盤】に持っている自分達って、
一体、どれほど恵まれているんだろう。
どれほど支えられているんだろう。
どれだけ時代に救われて、
どれだけ幸せなんだろう。
今在る困難や悲しみを【嘆く】事が出来るほど、
それ以前の【幸せ】を知ってくれている世界であって欲しいと深く願う。
これから先の若い世代が感染症や災害を【日常】や【普通】と割り切って「嘆けない」時代へと結ばぬように。
悲しみや痛みに直面した時、
諦観ではなく痛みに慣れるでもなく、それを嘆ける人で居られるように。
その嘆きを肥やしにして、【幸せ】を橋渡せる今で在れるように。
「嘆ける」という事は、「そうじゃない幸せ」を知っているから踏み出せる【声】でもあるんだから。
思い描ける【幸せ】を持っているから滲み出せる【訴え】でもあるんだから。
幸せの【地盤】が下がる事の無い様に、
「嘆き」という名の【希望】を繋いで行く事が、
【幸せの底】を底上げる土壌とも成ってくれる筈だから。
今立っている足元と、未来の人々の「日常」という足元を守る【基礎】ともなってくれる筈だから。
脈々と受け継がれて来た「悲しみ」や「別れ」や「病」や「嘆き」が、
足元の地盤をつくり人々の生活を動かし続けて来たように。
かつての人々が祈った「幸せ」が今を生きる自分達にとっての土壌と成り、
【日常】や【普通】として盤石されて来たように。
今から10年後も30年後も、自分達の死後も100年後も、
「いつか」の日を繋ぐのは今この時なんだから。
【いつかの自分の幸せ】をつくって行ってあげられるのは、
【今の自分】でもあるんだから。
今の自分を守る事が、
今居る自分を幸せへと導く事が、
身近な人を、周りの人を、
延いてはこの先の人々の【幸せ】の地盤を守る事でもある筈だから。