身に感じる幸せって、上へ上へとそのレベルを求めて行きがちだったのですが、
そうじゃなかったんですね。
幸せを追求するベクトルって多分、「上」ではなくて「下」だったんです。
どれだけ小さな幸せを拾えるか。
足元の支えや営みや、
今自分がこうして立っている【地面】の心強さに気付けるか。
噛み締められるか、味わえるか。
「より大きな幸せを」と求めて行くと、
上へ上へと伸ばして行くと、
少しずつ今持っている【小さな幸せ】を切り離して行ってしまうんです。
疎遠になって行ってしまう。
次第に距離を置いてしまう。
身近な豊かさがいつの間にか「普通」になって「日常」になって、
「ベース」になって自分の生活の「一部」になって、
その【重み】を軽んじてしまう。
少なくとも、私の場合。
幸福感や充足といった、幸せを感じる【心の受け皿】が大きくなると
段々小さな幸せでは満たされなくなるんです。
満足出来なくなって行く。
幸せを求めている筈が、自ら自分を【不幸】にする。
「幸せになる」ってきっと、
宝探しみたいなものなんです。
より豊満な幸せを求める人にとって、
小さな幸せは取り留め難くもなるものなのかも知れませんが、
より小さな幸せを追い求めて行く人が、
その幸せに気付ける人が、
大きな幸福に気付けない筈が無いんですよ。