友達から以前勤めていた職場の近況を耳にする。
相変わらず皆大変そうで、
最近まで約8ヶ月間、ひと月あたり60時間の残業が続いていたらしい。
職柄としてやむを得ない部分はあるだろう事は理解しているけれど、正直聞いていて胸が痛む。
クラスター以前に過労で倒れていないだろうか。
「感染者は出なかった」と聞かされたようだけど、
繁忙な時期で誰もが殺気立っている環境で、
例え感染していたとしても「陽性でした」と自ら手を挙げられない状況をつくっているのは企業そのものじゃないのか。
仮に稼働や労働を止められないなら出勤時間をずらしたり出社人数を制限したり、
それ相応の対応なり打開策を講じるのが「人」を雇う者の務めであり「命」を預かる者の責務ではないのか。
「難しいからやむを得ない」ではいつまで経っても働き方なんて変えられない。
秩序も平和も動かせない。
【人】は変わって行かれない。
企業や業務やマニュアル以前に、
人としての柔軟性を問われる事は、そのまま人としての器を問われる事でもある。
事件でも事故でもクラスターでも、事態が起こってから動くのでは「守る」事には成り得ないし、
「事が起こってしまった」という責任の片棒を、
【従業員】という被害者ないし感染者へ担がせてしまう事になる。
本来労わらなけばならない人に、呵責を負わせてしまう事になる。
守らなければいけない人に世間の関心を浴びせさせ、
その他大勢の従業員からの注目を集めて身近な人の話題となって、
その人の【柔く繊細な部分】を外部へ晒す事になる。
擁護しなければならない人を、
自責させる事になる。
病を負う事や体の一部を患う事は、
心を病ませて責めさせて、患わせてしまう事でもあると私自身は思っている。
ましてや過労や感染なんて、
自責の念に拍車を掛けて追い討ちを掛ける以外に他ならない。
病や疲労から守る事は、
人の心を守る事でもある筈だ。
会社とは【人】が居てこそ成り立つ組織なのであって、人が倒れれば会社もまた瓦解する。
会社があるから人が居るんじゃない。
人が居るから会社は在るんだ。
企業でもチームでも、
「人ひとりを守る事は自分を守る事でもある」と、前職場社員に伝えたい。