そもそも発言って、
そこに発生する言葉足らずや綻びや、
あるいは誤解や解釈の齟齬といった【死角】ないし【意識の隙間】を日の目に出すという事でもある。
だから「自分の弱さを見せる」行為の一環に、
「発言する」という動作も含まれるのだと思います。
だからきっと発言するって怖いんです。
それでも自分が思う【発言の価値】って、
そうした「弱点」や「稚拙」さを含めて自分が損するに【自分の本当の事】を明るみに出す事なんです。
それはお相手の意図や価値観、
マジョリティーやマイノリティーには寄り添えないかも知れないけれど、
それでも唯一、【自分の本当の事】なら言わせてあげられる。
そこに自分自身へのご褒美と言うか【発言の価値】はある訳で、
その後頂ける反応は、自分にとっての【思わぬ戦利品】でもあったりする。
だから目先の【得】には為りませんが、
自分の本当の事を言った先で着いて来てくれる「意思」や「声」や「反感」が、
自分にとっての本当の【心臓】に成れるのだと思うんです。