自身の気持ちを伝えた上で
想いや意思表示を踏まえた上で
お相手の【心の展開図】を明示して下さるのは嬉しいものです。
「あなたがそう言うなら」や「傷付けるかも」といったお相手本位や謙遜での意見ではなく、
「これを伝えたい」と思える程の労力をお相手にも自らにも充てて下さるという事だから。
「自分には自分のやり方がある」という一言や定型文には収まらず、
その内訳を明細し、
今ある熱火や不確かな靄を何度も飲み下しと生み出しを繰り返しながら【自分の言葉】として伝えてくれる。
そこには「これがいい」という想いの丈と思い入れと、
誰に促された訳でもない、その人自身の【地力】がある。
そこに根差されている真摯さと切実さは誰もが持ち得る物ではありませんし、
誰に対しても持ち得られるエネルギーでもありません。
そういう【志】を持ち続けたいと思える方がその人で、
その志を「発動したい」と思える人が自分だった。
薄らぎ痩せても切れぬものを、
人は「糸」と呼べるのかも知れません。