キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

一度【特別】になった人を【何とも思わない人】にするのは一筋縄では行かないものです

 

昔、交友関係について相談を受けた事がある。

 

「以前のパートナーが自分のインスタを毎日こまめにチェックしに来る」

「自分は何とも思わないけど、【懲りない】から不思議だ」と。

 

お相手の行為に対して「懲りない」と言う感情を観測している時点で、

そもそも【何とも思わない】人では無いのですよ。

 

インスタ、特にストーリーの場合、

自分は基本的に誰が閲覧をしてくれたのかまでは【確認】していないんです。

 

いや、勿論普段から交流を結んで下さっている【私の好きな人達】に関しては「観に来てくれたかな?」とかは思いますし、

気になってチェックもするのですが。

 

繋がりは持ってるし持っていたけど、さほど交流を交わさない方に関しては、

 

いつもストーリーを観に来て下さっていても「時間を充てて下さって有難いな」とか、

「気に留めて下さってるのかな」とか、

将又「流れで観てしまっただけかな?」とは思うけど、

「何で観に来るんだろ?」とは考えないんです。

 

関心や警戒心、分析や掘り下げと言った意味では、それもそれで課題を要する点ではあるのですが。

 

何はともあれ、昔お付き合いしていた方から連絡が来ても、

「寂しいのかな」とか「この方は【私】が好きなんじゃなくて【寂寥感を埋めてくれる私】が好きなんだな」とか、

行間を読む事には努めますが、それだけ。

 

そう思って完結。それで終わりなんです。

 

 

連絡を取りたくなったらいつでもくれれば良いし、

SNSが気になったのなら遊びに来てくれれば良い。

 

只、そこに私の感情は一切示唆されないけれど。

【何かを考えさせる】程の心のトゲみたいな【引っ掛かり】を、

私はその方に持ち併せてはいないんです。

 

だから通過はさせてしまうけど、

それは飽くまで「スルー」という意味の【通過】です。

 

 

例えるなら街を歩いていて他人と擦れ違う時と同じですよね。

「あの人可愛いな」とか「スタイル良いな」とかは思うのですが、それで終わり。

 

【関心】は終了。

 

「あの人どこに行くんだろう?」と後を追う事はまずありません。

 

もしそうなるのだとしたら、

それは自分がその人に対して【心のトゲ】を【自発】したから。

自ら矛を発したから。

 

自ずから思考する事は、自分がそれに興味を抱いたり関心を持とうと努めない限り無理な話なんです。

 

「考える」ってそもそも疲れる事で、

気力も体力も求められるものですから。

 

それでもそれを敢行するのは、

例えば「やらなければいけない」という義務や責任感、目標や切迫。

 

或いは、自分がそれを「考える」事に疲労以上の【楽しさ】又は【心地良さ】を感じているからに相違無いんです。

 

昔のパートナーがSNSを確認するのは、

少なからず自分に対して「関心を寄せているから」に間違いは無いのでしょう。

 

好意もあったのだと思います。

 

 

もしくは、自分と切れた後の相手が幸せで居る事にある種の劣等感を感じている、というケースも考えられます。

 

自分を失った「寂しさ」を感じていないか、

そんな期待も暗に寄せている。

 

自分と関係を解消した後に【上手くいっていない】相手の近況を確認する事で自分の安息を得たいのかも知れません。

 

自分と別れた相手が幸せそうにしている事に「面白くない」と思ったり、

物悲しさを感じたり、

自分と別れた事を後悔してはいないかとか。

 

そんな相手の感情の機微を確認したい心理が【表層】した行為でもあるのではないかと思います。

 

俗的で単純な言い方をしてしまうなら、

【期待】を掛けているんです。

 

自分が寂しいから、自分から相手を求めてしまう。

相手の動向を探ってしまう。

自分の「自尊心」や「落ち着き」を保つ為の一種の【精神安定剤】として相手を確認せずには居られない。そんな心象も感じられます。

 

だから相手のアカウントを開く時、

当人もきっとどこかで心苦しさの様なものを感じているのではないかと思います。

 

後ろめたさや劣等、虚しさ。

それでもどこかで「上手く行かないで欲しい」と願ってしまう自身の稚拙さと物悲しさ。

 

 

勿論、一度は自分を選んでくれた人だから「成功して欲しい」「幸せで居て欲しい」という気持ちも有るし「そうであって欲しい」とも願うけど、相反する感情もまた同じ様に棲んでしまう。

 

だからこその、【確認】や【干渉】といった一方的な交流に至るのだと思います。

 

SNSを観られる側の方がお相手の動向を気にするのは、

多かれ少なかれ、観られる側である当人が相手に【関心】を向けているからでもあるのだと思います。

 

そして自分のアカウントを観に来て下さる方々の中で、特定のお相手に対して【不愉快さ】や【しつこさ】を感じてしまうのだとしたら、

 

それは多分、そのお相手が【特別】だったから。

相手にとっての【特別】が自分であったのと同じように、

 

自分にとっての【特別】もまた、その方に違いなかったから。

 

 

 

一度【特別】になった人を【何とも思わない人】にするのは一筋縄では行かないものです。

「忘れたい」と思っている間は「忘れられない」のと同じように。

 

そしてSNSを観に来るお相手に対して「しつこい」と感じてしまう間は、

その方は自分にとっての【特別】なんです。

 

「しつこい」と感じるという事は、

その「しつこい」という一言に行き着くまでの感情のルーツがあるという事なんです。

 

他の人にはそんな事思わないのに、

どうして特定のお相手には「しつこい」と思ってしまうのか。

 

それは多分、自身がお相手に対してある種の【期待】の様なものを孕んでいるから。

 

お相手の行動原理を探ろうと試みるのは、

お相手を知ろうとしている自らが自発した【意思】なんです。

 

心を引っ掛けるという事は、

【考える】切っ掛けを自らに提案したという事です。

 

不快や不愉快さは、

今あるお相手の思いもお相手へのお気持ちも、

 

 

 

清算する合図を自らに与えたという事なのかも知れません。

 

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