キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

自分の考えに疑う余地を失くした時点で【老い】は始まる。

 

怒る事は【おごり】であると自分は考えます。

 

 

注意や諭しが相手に「届ける」事であるならば、

怒るとは届けるではなく「発散」する事。

 

叱る事が相手に「手渡す」事であるならば、

怒るとは相手に「投げ付ける」事。

 

 

 

 

届けたい意志の疎通も信念も、

相手に受け取れる猶予を渡せなければ八つ当たりと同じ事。

 

伝えたい意見も汲み出す思いも、

それらが「正解」や「常識」であると断定した時点で言葉は【被布】ではなく【つぶて】に成る。

鋭さを増した【矛】に成る。

 

 

そうして相手に伝達するのは「理解」ではなく「不快」です。

 

 

 

 

だから月並みな言葉にはなりますが、

大切なのは相手の考えを尊重し相手の声を取り込む事。

 

それ迄の基盤にあった道徳や価値観を踏まえた上で、

少しずつ思想の出し入れを行う事。

 

 

 

凝り固まらず思考の換気を行う事。

鮮度を保ち続ける事。

 

 

 

 

 

年齢性別関係なく、

 

自分の考えに疑う余地を失くした時点で【老い】は始まる。

 

 

敢えて辛い言葉を選ぶなら、

 

 

 

それが俗に言う「老害」の始まりだと思うんです。

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ