怒る事は【おごり】であると自分は考えます。
注意や諭しが相手に「届ける」事であるならば、
怒るとは届けるではなく「発散」する事。
叱る事が相手に「手渡す」事であるならば、
怒るとは相手に「投げ付ける」事。
届けたい意志の疎通も信念も、
相手に受け取れる猶予を渡せなければ八つ当たりと同じ事。
伝えたい意見も汲み出す思いも、
それらが「正解」や「常識」であると断定した時点で言葉は【被布】ではなく【つぶて】に成る。
鋭さを増した【矛】に成る。
そうして相手に伝達するのは「理解」ではなく「不快」です。
だから月並みな言葉にはなりますが、
大切なのは相手の考えを尊重し相手の声を取り込む事。
それ迄の基盤にあった道徳や価値観を踏まえた上で、
少しずつ思想の出し入れを行う事。
凝り固まらず思考の換気を行う事。
鮮度を保ち続ける事。
年齢性別関係なく、
自分の考えに疑う余地を失くした時点で【老い】は始まる。
敢えて辛い言葉を選ぶなら、
それが俗に言う「老害」の始まりだと思うんです。