自分、20歳くらいまで生魚や焼肉の類は一切食べられなかったのですよ。
その理由は多分、味覚よりも生臭さや歯切れの良し悪し等といった嗅覚なり食感が先に立っていたからだと思うのですが。
だからお寿司屋さんへ行った際は基本的に茶碗蒸しや玉子を頼んでいましたし、
焼肉屋さんでは冷麺やお野菜といったお肉以外の料理を注文するのが常でした。
でも節目の年に、当時お世話になっていた方が連れて行ってくれた小料理屋さんのお刺身と、ご贔屓になっていた焼肉店のお肉の味を知ってから、
それまでの概念が草の根ごとひっくり返されてしまったんです。
月並みな表現にはなってしまうのですが、
お刺身であれお肉であれ、例えば歯切れの良さや臭みの無さ、はたまた脂の甘みとか。
美味しいものを食べると自然と笑みが零れてしまうものですが、
例に漏れずおすすめのお刺身も焼肉も、口に入れた瞬間ニヤけが止まらなかったのを未だによく覚えています(笑)
人の嗜好というのは面白いもので、
生魚も焼肉も「美味しい」と認知して以来、他店や自宅の食卓でも口にする事が出来るようになっていました。
これは自分が思うに、お刺身や焼肉の「美味しい」と感じられる部分に自身のセンサーが触れた事で、
それまでの【感性】や【認識】を更新する事が出来たからだと思うんです。
それまで「美味しい」と感じる前に臭みや食感が先立っていたものが、
「美味しい」と感じられる区画を新たに増設した事で、他のお店や料理でも率先して【味覚】を拾う事が出来るようになったんです。
感性の受け口が広がったと言うか、
味への繊細さが増したと言うか、
「美味しい」という体験を一度踏まえる事で、その食べ物そのものの美味しさが分かるようになったんですよね。
もしかしたらこれは、
お仕事や物作りにも通ずる道理なのかも知れません。
商品でもパフォーマンスでも、
【良いもの】を見る事や知る事は、同時に自らの知性を刺激し五感の裾野を開拓する事でもありますし、
事柄や目の前の事象に対して「良い」と感じられる【器】や【感性の網目】を細やかにする事でもあるのではないかと思います。
そしてそれは、やがて物事を受け入れる【領土】そのものへと進展する。
食べ物と同じように初めて口にしたり手に取るものは「美味しい」か「否」かと判ずるまでに時間を要するものですし、
そもそもそれに触れる感性の糸を下地に持っていなければ引っ掛かる事すら難しい。
逆に言えば、
どれだけささやかな事でも、身近な商品や提案でも、
それまでに取り入れて来た知覚や味覚や嗅覚が、
大味な【概要】の中に敷き詰められ張り巡らされた見込みや面白みに触れる「感」に成れると言えるのだとも思います。
もしくはこうした「賽の目」が、
【応用】へ派生する際に必要な主軸や基本や大元の礎石を育む為の【肥料】に成る。
第一線で活躍されている方々や「一流」と呼ばれるものへの【体感】は、
時に自身の中にある「概念」を撹拌し「観念」を根本から覆す【杓子】の役を担ってくれる。
私が好き嫌いを克服する一つの切っ掛けにもなれたように、
それまでの【否定】を【肯定】へと転じさせる伏線さえ張ってゆくのかも知れません。
だからきっと、【良いもの】は積極的に摂り入れて行くべきなんです。