不意に掴んだ1%の【結実】が偶然の産物だったとしても、
それが産まれたての赤子でも成し得られた事なのかと言えば、
きっとそうでは無いんですよね。
そこにはこれまで踏んで来た「地表」と「空気」と「筆跡」と、
交錯して来た「実像」がある。
自分達の生活って、
「無駄」だと思う99%によって支えられているんですよね。
1%の【有用】は99%の【無用】に活かされ、
1%の【大成】は99%の【失敗】で掴み取れるものでもある。
1%の【意義】は、99%の【無駄】によって出来ている。
そしてそれを「知る」為に、今の自分が居るのだとも思う訳です。