正義は極端な言い換えをすれば
「個人のエゴ」であると思う。
だから勿論絶対的な正義はないし、
それこそ正義の定義は千差万別で、
でも各々が各々の正義を振り翳したら混沌として収拾がつかなくなる。
だからそれらを総括して代表して謳ったのが国家であり憲法であり、
憲法の中でこそ行使される法律な訳で。
秩序とは、【憲法】と【法律】の相互関係の下でこそ成り立つ。
憲法という法の下に警察や検察や弁護士が居て
法律という秩序の下で守り守られるべき国民が居る。
その国民の声を聞く事が国家の役割であり、
憲法という約束なんです。
だからこそ法律という秩序の下で「発言の自由」、「表現の自由」が赦されている。
抗議の声も、
法の下で秩序を守り、
守られる事が約束されているからこそ挙げる事が出来る大切な権利。
法律の下で守られるべき活動であり声であるなら、
法の外に出る行いを裁き戒めるのと同じように、
国はそれを受け止めるべき義務がある。
国民も法に則り、
規範の中でシュプレヒコールを挙げ【秩序の線引き】を見誤ってはいけない。
「ルールは破る為にある」なんて口にする人もいるけれど、
それはルールを【知って】いて初めて適用される台詞であり行使される【改革】です。
ルールを知りもしない人間がルールを破ろうなんて筋違いも甚だしい。
国家も行政機関も国民も、
各々が利己的な正義を推し進め始めたとしたら、
一気に秩序の均衡は崩れていってしまうのでしょうね。