その日の生活の中で、【「良かったな」と感じた出来事を手帳に書き残す】という習慣付けを先月から行っているのですが、
毎回手帳を開くと、まだ中身が少ないながらに昨日まで納めた「喜び」やら「発見」やら「高揚」やらが、紙面上に敷き詰まった文字からウワッと吹きこぼれて来る様になったんですよ。
一日の内の「嬉しかった事」や「心が温かくなった事」だけを漉し出しているので、
日を追う毎に純度が増して行くというか言葉が結束力を持つというか、視覚的な【馬力】があるんです。
それこそ、暫く眺めて居られるくらいには。
出来事の大小に制限は設けていないので、
ふとした感情の機微や些細な変化でも「良いな」と感じたらその場でメモに起こす事もありますが、
それが嬉しいんですよね。
「こんな事にも目を留める事が出来るんだな」って、
何気無しに素通りしていた物を喜びや穏やかさとして認めてあげられる瞬間だから。
ちなみに、今日は駅前の河津桜が満開だった事に気付きましたし、
ゴミ収集車のスタッフさんには「いつもありがとうございます」と感謝をお伝えする事も出来ました。
コンビニには桜に因んだ新商品が店頭にずらりと並んでいたし、
所長からはおやつのお裾分けを頂きました。
ついでに追記すると、昨日はチーフが朝から「あ!今日って令和3年の3月3日じゃん!3 3 3じゃん!」
とはしゃぐ姿がとても微笑ましかったのでそれも記録して置きました。滅茶苦茶印象深かったんです(笑)
今の習慣を介して「知った」のは、
【自分】は如何に恵まれたもので囲まれているのかという事です。
外がどれだけ幸せで出来ているのかを自覚して、
それを受け取る為の感性は、全て自分の中に備わっていたとまざまざと気付かされました。
あとは自分が、【見る】だけなのだという事も。
昔、「一日一つは発見しろ」と言われていた事があるのですが、
【見る対象】は正直なんでも良いんです。
「どれを見たいか」というより「どう見たいか」という【見る目】に自意識を添えると、
日頃は右から左へと流れる頭の中の感想が【意識】の網に引っ掛かるんです。
それが「自覚する」という事で、
その自覚が生まれる事で、人は「人」や「事物」を観察し、
自分を【発見】するのだとも思うんです。