キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

自分らしさって何ですか

 

頑張れない時は頑張らなくていい。

笑えない時は笑わなくていい。

 

いつだって直向きに、いつだって笑っていようとする理由が、

 

 

一体どこにあるのでしょう。

 

 

 

「自分らしさ」って何ですか。

「らしくない」って何ですか。

 

そんなの果たして誰が決めると言うのでしょう。

誰が決められると言うのでしょう。

 

本当の自分って誰ですか。

それはいつから決まるのですか。

 

 

人は多面性を持った生き物です。

 

 

 

その時どんな考えで

どんな一面を見せたとしても

 

それは自分という多面体の一部である事に変わりはありません。

 

 

どれが本当の自分なのか。

そういう事ではないんです。

見るべきなのはそこじゃないんです。

 

自分という多面体の真ん中にある

自分の【核】って何ですか。

 

 

多種多様な面の内側にある

自分の【譲れないもの】って何ですか。

 

 

 

自分という多面体を削っていった時

少しずつ擦り減らして行った時

最期の破片になった時

 

そこに遺る物って何ですか。

 

 

もしも"本当の自分"なんてものが存在し得るのだとしたら

 

それは自分という多面体を削り落としていった時

最期に遺る小さな破片。

 

 

自分にとっての"譲れないもの"であり

 

自分にとって"手放し難い"

たった一つの一欠片。

 

それが信念であり、

自分を自分たらしめる、唯一無二のアイデンティティー。

 

 

 

あなたが寂しさを知った時、心に浮かぶものはありますか。

あなたがどうしようもなく泣きたい時、傍にいて欲しいのは誰ですか。

 

あなたが頑張れる時、思い描くものはありますか。

あなたが笑顔になれる時、傍にいるのは誰ですか。

 

あなたをあなたたらしめる、

多面体の奥にあるものって何ですか。

 

 

 

【核】とは信念であり、想いです。

 

何があっても手放し難く、

どうやっても譲る事が出来ない想いです。

 

 

あなたは優しい人です。

 

だから笑顔でいようと思えるんです。

だから笑顔になれない時、そんなにも一人で苦しんでいる。

 

 

あなたの中にある"譲れないもの"

あなたの奥にある"手放し難いもの"

 

それはきっと、あなたにとって

"守りたいもの"でもある筈です。

 

 

だから頑張る事が出来て

「頑張りたい」と思えるんです。

 

だから頑張れないと思った時、

あなたは失う怖さに気付けてしまう。

 

だから不安にもなるんですよね。

 

 

ずっと守り続け、育てて来た"大切なもの"は簡単に消える事はありません。

 

今まで根付かせて来たその想いは、

あなたが思うほど柔なものではありません。

 

 

 

だから、頑張れない時は頑張らなくていいんです。

笑えなければ笑わなくていいんです。

 

そんな自分を責めなくたっていいんです。

 

 

 

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