キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

「信じる」とは、押し付ける事では無く貫くことです

 

「信じていたのに」

その言葉の結びには、いつも小気味の悪さを感じる。

 

 

台詞の末尾には「裏切られた」と続くのでしょうか。

それとも「報われなかった」で締め括られるのでしょうか。

 

 

 

【信用】とは、決して【約束】ではありません。

 

結果を求める行為を「期待」と呼ぶ事はあれど、「信頼」とは呼びません。

 

 

「信じる」とは、押し付ける事では無く貫くことです。

「信じ続ける」とは、請い求める事では無く突き通す事です。

 

 

自分が勝手に信じたんです。

信じたいから信じたんです。

 

その意志は誰から与えられたものでもありません。

 

自分が好きで決めたのだから、

それはどこまで行こうと自分だけの想いです。

 

 

 

信用とは自らの意志であり、

 

信頼とは自らに課した覚悟です。

 

 

例えどんな前置きがあろうとも、

如何なる過程を経ていようとも、

 

信じたのは自分です。

審判を下すのはたった一人です。

 

 

決定権は、自分以外に握れないんです。

 

一度課した想いなら、貫き通すべきなんです。

背負うと覚悟した絆なら、突き通さなければいけないんです。

 

 

 

その先で訪れる明日や、

いずれ返って来る結果が、

例え【今】とは違う未来であっても。

例え思い描く【理想】に沿わないものであろうとも。

 

一度決めた意志には、

その背へ必然的に成し遂げる覚悟が重責となって付いて回ります。

 

待ち設ける「期待」ではなく、

「信頼」という絆でありたいのなら、

 

 

 

信じ抜く勇気と、

信じ抜かれる度量を持たなければいけないんです。

 

 

あの日の自分が自分の意志で下した誇り高さを、

 

「信じていたのに」

 

 

そんな一言で傷付けないで欲しいのです。

 

 

その時のあなたが無意識下に背負った覚悟の気高さは、

「裏切られた」とか

「報われなかった」とか

 

 

 

そんな結びで泥を塗っていいような低俗な想いでは無い筈でしょう?

 

 

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