突き当たる壁は行き止まりの標識でも無ければ、
Uターンを促す警告でもありません。
壁は、登る物です。
だから痛いんです。
だから苦しいんです。
だから簡単に進めないんです。
だから立ち止まっている様な心持ちにさせられるんです。
物事が上手く行っている時は、
自身へ課すべき課題に気付きにくいものなんです。
心の中でつかえる切っ掛けに気付くのは、
どうしてかいつも決まって壁にぶつかる時なんです。
人が心傷付くのは
誰かに優しさを教える為であり、
人に優しさを学ぶのは
いつだって苦しみの中にいる時です。
人が努力出来るのは
失う怖さの大切さに気付かされた時であり、
人の力を底上げるのは
いつだって誰かの笑顔を願う時です。
壁とはそれらを教えてくれる【気付き】という存在です。
その壁を乗り越える為に手掛けた爪の痛みや脚の疲労は、
地べたに身を打ち骨を軋ませ、
呼吸すら許してくれない程の苦しみは、
身を以て知る痛みの一切合切は、
どうしようも無く
紛れようも無く
覆しようも無い【自信】と成って返って来ます。
今はどれだけ自分の行く手を妨げ苦痛をもたらす【敵】だとしても、
その障壁や足掛かり達は
いつしか自分の血となり肉と成ります。
誰よりも心強く、
何よりも揺るぎない自分自身の【味方】と成って返って来るのです。
全ては還元されるのです。
転ぶ時は、いつだって只では起きてやりません。
最後に自分の背を押すのは、
いつだって過去の自分なんです。