キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

「あり触れた言葉」とは、誰もが何気も無く取り留めも無く、 意識せずとも頑張らずとも口にする事が出来る言葉であり、 【口に出来るようになった言葉】という事でもあるんです

 

「あり触れている」って、

【あり溢れている】とも言い換える事が出来るのだと思います。

 

だから「あり触れた言葉」とは、

【あり溢れている言葉】とも言う事が出来る。

 

誰もが何気も無く取り留めも無く、

意識せずとも頑張らずとも口にする事が出来る言葉であり、

【口に出来るようになった言葉】なんです。

 

自然に「それ」が出来てしまうという事は、

「その言葉」を見付けられるという事は、

 

その言葉がその想いが日常が、

ベースにあるという事でもあるんです。

 

 

一度自分のベースと成ったものに気付く事は難しい。

自分の身になったものだから。

自分の一部になるという事は、

自分からは見難くもなるという事でもあると思うから。

 

だから「あり触れた」言葉の重みにも気付き難い。

自分の自重の一部だから。

 

 

慣れてしまった自分の重みを感じる事は難しくもありますが、

この言葉をこの考えをこの見方を、

 

「あり触れた言葉」に出来た自分達って凄いんです。

あり溢れた言葉を【頑張らず】に言える日常を、

自分が掴んだ幸せとも呼べるんです。

 

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