キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

『一』+『十』+『立』=【幸】

 

【幸せ】とは、【辛い】という言葉に線を一本結ぶ事で転じる言葉であると同時に、

 

「一」と「十」の間に「立つ」事で成り立つ言葉でもあるんですよね。

 

 

 

それぞれ【自立】し【独立】し【確立】した三点の言葉が組み上がる事で初めて結実する一文字であり、

 

発展する一つの意味。

 

 

「一」と「十」の間に「立つ」

 

そこから派生して、私にはこの組み合わさりから以下のような心象を受けました。

 

 

 

「誕生」と「終焉」の間に「立つ」

或いは「目覚め」と「眠り」の間を「接ぐ」

将又、「天」と「地」の間に「生きる」

 

 

「気付く」ことは「築く」こと。

 

 

【辛さ】を識り気付くからこそ、

【幸せ】は築かれその感情を知れるのだと思うのです。

 

だから人は経験するのだとも思うのです。

 

 

「辛い」とはもしかしたら、

その人が限りなく【終焉】に近い場所で生きているという事なのかも分かりません。

 

そしてそれと同時に、

心を落とし落ち込み「落着」し、

 

【地】に落ち着いて【地】に足着いて生きているという、紛いも無い証拠でもあると思うのです。

 

 

そして「幸せ」とは、 

地に足着きながら【天】と【地】の間に生きるからこそ、

【生】と【死】の間を分つからこそ、

そこに立ち命を保つからこそ、

 

結ばれる【喜び】であり、

 

 

 

結び出される【豊かさ】なのだと思うのです。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ