キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

言葉を伝えるというよりも、こころを届けたがっている

 

正直、その時自分が起こす言動なんて予測出来ない。

 

 

こういう言い方で伝えよう。

こんな語調を意識しよう。

 

直前までそう意識してた筈なのに、

 

気を付けようって思ってたのに、

 

 

"その時"になった瞬間、全部ぶっ飛ぶ。

 

ストッパーもタガも外れて

心に理性が追い付かなくて

 

頭で言葉を構築する前に口が勝手に動いて、口走っている。

 

舌先が縺れて、感情ばかりが先走って、

それでも構わず声が転がり飛び出して行く。

 

 

だから率直に言って、

発言しながら自分が何言ってるのか分からなくなる事が結構あるんです。

自分が口にした言葉に自分で驚く事が割とあったりするんです。

 

結局その後、

「何であんな強い言い方になっちゃったんだろう」とか、

「もっと優しく言いたかったのに」とか、

 

 

軽く自己嫌悪に陥ったりする訳です。

 

しかもその上、一通り発言をした後、

あろうことか、その時自分が何て言っていたのか殆ど憶えていないんです。

 

 

本当、ニュアンスしか憶えていない。

 

 

でも、これは何かもう仕方のない事なんだと諦観もしてたりするんです。

 

だってきっと、その時の私は必死だから。

その時言った言葉には、本心しかないから。

 

“頭で考える”工程踏み倒して

“気持ちを整理する”手間すっ飛ばして

 

完全に心剥き出しにして喋ってるから。

 

 

 

その時の私は言葉を伝えるというよりも、

 

「心を届けたがっている」という表現の方が感覚的に的を射ている気がします。

 

 

これは多分、野性の本能に近いんです。

 

 

そしてそこに、私が一番伝えたい事って詰まってる。

 

だから結局、この言い方を私は直せないし、

敢えて直そうとも思えない。

 

きっとかなり荒っぽいけど

野球の球を暴投する様な粗削りっぷりだけど

 

 

多分今の私には

これが一番自分の素の感情を伝え易くて、

熱が伝わり易くて、

相手の核に触れ易くて、

 

相手の心へ届け易いんじゃないかと思っているんです。

 

 

だからきっとこのやり方は、当分変えられそうにありません。

 

 

 

 

 

…とは言いつつ。

でもやっぱりちょっとだけ、相手が受け取り易いように、

 

少しくらいは柔らかく伝えられるようになりたいかな。

とは思いますけどね。

 

 

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