キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

一つ変わらないのは、「自分には無いものを持っている人」という事です

 

人を好きになる瞬間に理由なんてないけれど、

一つだけ理由があるのだとしたら、

 

それは多分

"自分にはないものを持っている人"  なんだと思います。

 

 

 

だからそれらは時に尊敬であり、

羨望にも成り得るんです。

 

知らず知らずの内に、

自分に足りないものを補ってくれる人を求めているのかもしれません。

 

 

自分にないものを補ってほしい。

それはつまり、自分の至らなさに気付いてほしくて

知ってほしくて、

 

認めてほしいという事なんだと思います。

 

 

自分に足りないものを、その人で埋めてほしい。

 

おこがましい事だと分かってる。

分かってるけど、

「それでもいい」って言って、受け止めてほしい。

 

 

 

そして叶う事なら、

その人の足りない部分を自分が補えたらいい。

 

お互いを埋め合う事が出来たらいい。

だから好きな人の事は沢山知りたい。幾らでも知りたい。

 

 

 

欠けてていい。 

持ってなくていい。

だってその足りない部分を自分が埋めてあげたいから。

 

だから自分もまた、

その人の欠けた部分に気付いてあげたいし、

知ってあげたいし、

認めてあげたい。

 

 

その欠けているものを"弱さ"と呼び、

"醜さ"や"汚さ"と言うのなら、

 

「それでもいい」って言ってあげたい。

 

「それでも好き」だって伝えてあげたい。

 

 

 

"弱さ"や"醜さ"って誰にでも見せられるものじゃない筈だから。

 

厚かましいと分かっていても、

それでも、それに気付かせて貰える存在になりたい。

 

それを受け止めてあげられる"特別な存在"になりたい。

 

 

簡単に見せられるものじゃないから。

ひけらかせるものじゃないから。

 

だからこそ、好きな人が見せてくれる"弱さ"や"汚さ"って

その未完成さや未熟さを自分に見せてくれたその人の勇気って、

 

たまらなく愛おしいと感じさせてくれるものなんです。

 

 

 

好きな人も、同じ気持ちだったら嬉しいんですけどね。

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ