キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

相手へ馳せる想いの丈は 自分へ対する誇り高さと同義です。

 

どれを根拠にすれば、

「信じている」と確信する事が出来るのか。


一体どこを拠り処にすれば、

疑い様も無く断言する事が出来るのか。

 


どれ程「好き」と言って笑っても

その喉元は言った側から情けない程張り詰めてるし、



どれだけ「大丈夫」と言って見詰めても

その目尻では一層の不安を伝えたがる。

 



「信じる」とは、押し付ける事では無く貫く事だと思います。

 

自分の心に嘘は吐けない。

疑心暗鬼は偽れない。

 

信頼関係って多分、

糸がピンと張った状態なんです。


力が弱過ぎれば糸はたわむし、 


強過ぎれば引き千切れる。



表面張力みたいな際どさがあって

ギリギリの綱渡りみたいな危うさがあるんです。

 



例えば自分が糸を持つ手を弱めたら、

相手は同じだけの力で引き戻してくれるのか。

 

例えば相手の持つ糸がほつれ乱れてしまうなら、

自分はしがみつく手を弱める事が出来るのか。

 

例えば今、この距離から一歩近付いたとしたら、

相手は弛んだ糸の分だけ足を踏み出してくれるのか。

 



例えば今。

偽り切れない言葉を前に、それを口にしたとして、


果たして相手は糸を持つ手を離すのか。

 


糸がささくれ立って喰い込んで

痛くて疲れて力尽きて


もしも手離してしまったら



繋ぎ止めるものが無くなったら


居なくなってしまったら。

 


相手が糸を持つ手を下ろしたら

自分がこの場を去るとしたら

 

そうした時、不意に脳裏を掠める悪い予感は

いつも決まって言い様の無い恐ろしさを孕みながら



背中からこの身を抱くのです。

 


それはきっと、いつかどこかで傷付いた日が、

傷付けた過去が、


いつだって自分の裏側に貼り付いて剥がれないから。

 


その嫌な予感が現実として目の前に現れた時

逃れ様の無い刃と成って

或いは立ち向かわなければならない壁と成って

相対さなければいけなくなった時

 

それがどれだけ悲しくて

胸が裂けそうな程苦しくて


涙も出ないくらい痛い事を

 

嘘を吐き通せない口元も、

素知らぬ侭で居られない目尻も気付いてる。

 


偽り切るなんて出来ないから、

包み隠した侭押し通すなんて無理だから、


忘れるなんて不可能だから。

 

だから傷付かない様に

誰も彼も傷付けない様に


元より何より自分を傷付けない為に

守り抜く為に

 


「疑う」という行為を覚えたのに、

防護壁を建てたのに、


そうして保険を掛けたのに。

 


また性懲りも無く信じたい。

糸を引き千切る事が怖い癖に、

手離されたくない癖に、


声が潰れる痛みを知ってる癖に、

 

それなのに

それなのにも拘らず

まるでそれとは矛盾して


例えどんなに傷付いても

例えどれだけ心臓毟り取られても

 


今度こそはと、

この人ならと、


そうしてまた人を信じたくなる。

 


そしてまた自分勝手が暴れ出す。

過ぎ去った瘡蓋達が

どれだけいつかの痛みを訴えても、

訴状を持って声を挙げても、

 


それでもこの場を立ち退けない。


それどころか

あろう事か

まるで真っ向から逆行する。


真正面から反逆する。

 

あの頃を忘れた訳じゃ無い。

寧ろ偶に傷が開いて、

膿んで腫れて灼熱する。

 

だけど、

それでも、

それだからこそ、


また次の痛みを求めずには居られない。


貫かずには居られない。



突き立てずには居られない。

 

只一つだけ履き違えてはならない事は、

それ迄の切り傷も打ち傷も庇い傷も、


決して万人に土壌を踏み荒らさせてあげられる程

安売りにして来た傷では無いと言う事。

 


決して大多数の人間が安易に自分の領土を掻き乱せる程

簡単にその身へ触れさせる距離を許して来た記憶も無い。

 

相手へ馳せる想いの丈は、

自分へ対する誇り高さと同義です。

 


どれだけ遠くへ遠退いても

出来るだけ距離を取ろうとも

気付いた時にはもう遅いんです

とっくの昔に余裕なんて無いんです。

 

偽り切れない心の前に、

競り合える言葉なんて無いんです。

 

猶予も間隔も恥も掻き捨て

互いが明け透けに成る程に

袖振り合うだけで傷付く程に


何もかも無防備で居たいんです。

 


盲目に成ってしまえるくらい、

ゼロ距離で居る事を許されたいんです。


色も識別出来ない程に、

目を眩ませて欲しいんです。 

 


防ぐ準備も出来ないくらい

構える暇も無い程に

どこもかしこも鏡に成って

隠し場所も与え合えない存在に成ってしまいたいんです。

 

傷付き方なんて一つじゃない。

同じ傷だって一つも無かった。

 

だから一括りになんて出来る訳無い。

総纏めの一纏めにしたところで

割り切れる訳も無いんです。

 


今あなたの目の前に居る人は只一人のひと。

たった一人のひと。


一緒くたには出来ないひと。

 


だからまた性懲りも無く会いたくなる。

そうしてまた糸を結んで

もう一度手を伸ばしたがる。

 

今目の前に居る人は、その人にしか成れないひと。


自分の経験則では追い切れなくて

一括りでは終われないひと。

 

楔であり柱であり鏡でありたい人。

 

 

昔あったお伽話は

自分が思う程ドラマチックでは無かったのかも知れないけれど、

それと引けを取らないくらい

馬鹿に出来たものでも無かった。

 


だからこの痛みさえも愛おしい。

この傷さえも手離し難い。

 

だってこんな傷を残せる人、

そこかしこに居てくれる筈も無い。

 

その人がくれた傷だから

その人でなければ知る由も無く


知る事さえも許されなかった勲章の様な痛みだから。

 


例え歪み切った擦り傷でも

かなぐり捨てたくなる程の苦痛でも

 

ドブ底に沈むくらい なり振り構わない情動で、

自分の尊厳を傷付ける事になろうとも。

 

好きだから仕方が無いんです。

好きなんです。

自分を嫌いになるくらい。

 

 

手離せない糸を誇りに思ってほしいのです。

相手を好きになる度に、誰にも寄り添う事が出来ないあなたは


きっと誰よりも慈悲深い人。

  


相手の心を求める程に、いつまでも寛容に成れないあなたは

そんな自分を嫌いなあなたは


今、誰よりも優しい人。

 


葛藤する気丈さに気付いてほしい。

渇望する愛情深さに気付いてほしい。


「自分の事が嫌いで、そんな自分が大嫌い」なあなたは、

その瞬間、誰よりも血の通った人間である事を知ってほしい。

 

だから嫌いでも良い。

好きに成れなくても構わない。

自分を嫌いに成ってしまえるあなたが好きです。

 

優しく成れなくて、

強く成れなくて、

泣き虫で不安がりで打たれ弱くて、


寂しがりで心配性で傷付き易いあなたの事が好きなんです。

 

全部好きです。

大好きなんです。

 

誰かを想える程に自分を嫌いになれるあなたを、

放っておける訳が無い。

軽蔑なんてもっと出来ない。

 

誰かを信じたい程に自分を責め苛む事が出来るあなたを、

馬鹿になんて出来る訳が無い。

後ろ指なんて許す筈も無い。

 

あなたが抱えるあかぎれだらけの劣等感は、

気高く誉れ高いのです。

 


自分を嫌いでも良い。

好きになれなくたって構わない。



好きだろうと嫌いだろうと、

愛していてもいなくても、

こちらは勝手に傍に居たい。

独り善がりに寄り添いたい。

 

あなたが自分を嫌いになった数の分だけ

握り締める糸の弛んだ分だけ

距離を縮める様に、

その穴を埋める様に、


あなたを好きになるのです。

 

 

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