キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

自分を知る事が何よりもつらく、そしてどれより心躍る遊びの一つでもあるんです

 

自分を知る。

自分と対峙し自分と向き合う。

 

そして自分に没入する。

 

 

それは爪を一枚一枚捲る様な

腕の肉を剥ぐ様な

心臓に張り巡らされた神経一本一本抜く様な

 

そんな果てしなく愚直で惨たらしい手順を踏む事もあります。

 

 

 

時折呼吸が詰まる程の

臓器がせり上がって来る程の

 

随分としんどい作業です。

 

 

でもその肉塊の中から漸く小さな芯を見付けた時、

 

そしてそれが自分の手元に戻った時、

自分へ還る事が出来た時。

 

この小さく【不確か】で、

それでも【確か】な芯から生まれた感情なのだと実感する事が出来た時。

 

 

 

この芯が無ければ知る事も無く、

今この気持ちも成し得なかった、

出会えなかった、

何もかもが始まりだった、

 

この【源】から派生した物だと思い知る時。

 

その「身」に改めて刻む時。

 

そしてそれが目の前の現実として現れた時。

 

 

この層を成した爪の皮も、

蔦の様に張り巡らされた神経も、

芯から臓器から肉の先まで、

 

どれもこれもが愛おしい感情だと気付くんです。

 

 

まるごと愛せてしまうんです。

 

 

 

自分はこんなにも「生きている」のだと、

「掛け替えようもない存在」なのだと、

 

「幸せを知るべくして知り、幸せに成るべくして幸せになる」のだと、

 

「そうして産まれた」のだと、

「その為に産まれた」のだと、

 

 

自分が自分に思い出させてくれるんです。

 

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