自分を知る。
自分と対峙し自分と向き合う。
そして自分に没入する。
それは爪を一枚一枚捲る様な
腕の肉を剥ぐ様な
心臓に張り巡らされた神経一本一本抜く様な
そんな果てしなく愚直で惨たらしい手順を踏む事もあります。
時折呼吸が詰まる程の
臓器がせり上がって来る程の
随分としんどい作業です。
でもその肉塊の中から漸く小さな芯を見付けた時、
そしてそれが自分の手元に戻った時、
自分へ還る事が出来た時。
この小さく【不確か】で、
それでも【確か】な芯から生まれた感情なのだと実感する事が出来た時。
この芯が無ければ知る事も無く、
今この気持ちも成し得なかった、
出会えなかった、
何もかもが始まりだった、
この【源】から派生した物だと思い知る時。
その「身」に改めて刻む時。
そしてそれが目の前の現実として現れた時。
この層を成した爪の皮も、
蔦の様に張り巡らされた神経も、
芯から臓器から肉の先まで、
どれもこれもが愛おしい感情だと気付くんです。
まるごと愛せてしまうんです。
自分はこんなにも「生きている」のだと、
「掛け替えようもない存在」なのだと、
「幸せを知るべくして知り、幸せに成るべくして幸せになる」のだと、
「そうして産まれた」のだと、
「その為に産まれた」のだと、
自分が自分に思い出させてくれるんです。