キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

自分の世界の主人公は自分であり、 自分という小説の筆者は自分です


自分の観る景色は自分が決めるもので、

それは言い換えれば


自分から見える世界は自分の見たいもので満たし尽くす事が出来るという事。


人は自分が信じたいものを信じる生き物で、


自分が「こうだ」と知った(解釈した)事実で感情を起こし、

その感情を介して世界を構築する生き物です。




詰まるところ、

生きている以上は自分の世界は自分の視点からでしか展開出来ない。


それは裏を返せば、

自分という人生は常に自分を中心として弧を描くものであり、

産まれてから死に絶えるまで、


この世界は常時、自分軸で展開され続けて行くという事でもあるんです。




言ってしまえば、

自分の世界の主人公は自分であり、

自分という小説の筆者は自分です。


自分を幸にするも不幸にするも、

この世界の創造主である自分の心次第であって、

自分の心の置き方次第です。




【自分】は自分が決めるもの。



幸福だと捉えようと、

報われないと嘆こうと、


導く感情の一切合切は自分が自発して起こしたもの。



「そうである」と心が興した解釈であり、

心から信じた【事実】です。



自分がそう見たくて見た世界。

自分がそう信じたくて信じた世界。




ハッピーエンドもバッドエンドも、


どこぞの誰かに論評を任せるものでも無ければ采配を委ねるものでも無い。


自分の信じた解釈だけが、

その物語の結びとなり、

終着となり、

帰結となる。


例えどれだけ「こうなりたい」と思う誰かが居たとしても、

自分がなりたい人は【自分】です。


どれほど憧れの存在が居たとしても、

目標とする人が居たとしても、


終始、自分が憧れとする人は【自分】であり

自分が目指す人はどこまで行っても【自分】です。




幸せとは、誰かに「して貰うもの」ではないんです。



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