キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

後から気付くんじゃない。 気が付く為の【今】を踏むから 知るべくして知れるんだ

 

いつだって過ぎ去ってから気付くのは、

その瞬間に必死だったからだ。

 

 

考えるべきより先に見るべき目先があったからだ。

目の前に本気で居たからだ。

本気で掴みに行ったからだ。 

 

 

そこに自分が生きていたから

一身を投じて生きたから、

一心に集中していたから、

 

だから気付く事が出来るんだ。

 

 

 

思考に先立つ想いがあるから

心が先んじて走るから、

 

思量が感情の襟足を掴む頃には【今】はきっと終わってるから、

 

 

だから考えるより体が先に動くんだ。

 

自意識を手放す程に、

余念を置くだけの余裕も余力も与えぬ程に、

楽が出来なくなる程の【今】を選ぶから、

 

だから【踏まえる】事が出来るんだ。

 

 

裏を返せば、

その時自分が動かなければ、

【今】を動かす事が無かったなら、

 

今を踏まえる事は無く、

今在る感情を築く事も気が付く事も無かったでしょう。

 

 

 

回顧も自分を知り得る機会も失われていたのでしょう。

いつだって気が付く為に【今】があり、

だから車窓から見る風景の様な瞬間瞬間を生きるのでしょう。

 

だから考える時はいつだって、

心が落ちた時、

落ち着いた時、

心が地に足着く時だ。

 

事を踏まえて思考を巡らせるだけの息衝く場所に心が着陸した時だ。

 

後から気付くんじゃない。

気が付く為の【今】を踏むから

 

知るべくして知れるんだ。

 

 

 

だから考える時はいつだって

その瞬間に自分を投げた後なんだ。

 

実動と実感を踏まえた後に、

 

 

 

人は「考える」事が出来るんだ。

 

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