闇を見ると言う事は、
闇に視点を当てる、スポットライトを当てるという事で、
それは総じて『闇に光を当てる』という事でもあるんです。
闇は目を伏せる事によって広がり、
見ないようにする事によって深まっていくものでもありますから、
闇に光を当てた瞬間、それはもう【闇】では無くなるんです。
だって「光を当てる」とは、
光を「見出す」という事でもあるんですから。
落ちる時はとことん落ちる。
だけど ただ落ちるのでは無いんです。
【落ちる】とは「闇を見る」という事で
「闇に光を当てる」という事でもあって、
光を見出すという事でもあるんです。
だから【上がる】事が出来るんです。
【落ちる】って飽くまでも、
【成長】というワンパッケージの一つなのだと思うんです。
自分が「上がる」前の下準備であり予兆でもあり、
ステップであって前段階とも呼ぶ事が出来る。
それが、「向き合う」という事でもあるんじゃないかなと思うんです。
月並みな言葉をお借りするなら、
【光】と【闇】は対を成すものであり表裏一体のものだから、
学びや気付きといった「閃き」って常に、
闇ありきでその帳尻を合わせられるものであり成立出来るものなんです。
闇を「見れる」人だからこそ
その先の光との相互関係によって成長を繰り返して行けるんです。