高校生の頃、
同性恋愛中の友達から悩みを打ち明けられた時の話。
会話の途中で不意に友達が口にした疑問が今でも忘れられない。
「私達みたいな人の事、面白がってたりする?」
考えもしない言葉だったから呆然とした。
完全に私のキャパシティー外の発言だった。
多分、ショックだった。
当時のあの子には、
過去に後ろ指差された過去があったのか。
それとも、そもそも彼女の頭の中にその行為そのものを【軽蔑】するという思想が既に居座っていたのか。
だから恐れたのか。
いずれにしても彼女は、
彼女自身の中に疑わしさの中に居る私へ悩みを持ち掛けた。
私はそれがショックだった。
恋愛の形を定義付ける気はない。
歳の差恋愛だろうが格差恋愛だろうが国際恋愛だろうが同性恋愛だろうが、
そこに一切の興味は無い。
正直言ってそんな物どうでも良い。
好きにすれば良い。
好きになれば良い。
そこに「好き」があるなら此の上無い。
事実では無く真実であるならそれに勝る物も無い。
人様の恋の在り方を蔑視出来る程、
個々の感情を特別視もしていない。
と言うか出来ない。
特別「素敵」だとも思わない。
だって普通だ。全部普通だ。
「好き」という感情の前にあるのは何もかもが平等だ。
上も下も無く白も黒も無い。
老いも若きも男も女も関係無い。
只一つ、たった一つ。
軸があれば良い。
「好き」という軸がど真ん中に一本通ってればそれで良い。
「好き」は純真で汚れないもの。
無色透明で清廉潔白なもの。
そこから派生する点や線、面や辺に目を向ける気は毛頭無い。
そこから織り成す形がどんな物であろうと、
巡り巡って中心にある不変的で揺るぎない軸の気高さが私は好きなんです。
友達も恋人も、
誰かを好きと言って誇れる軸が美しい。
自信持って好きだと言える
惜しみ無く声に出して公言出来て
伝えて行ける軸の誇り高さを目の当たりにした時
私にはそれがたまらなく眩しくて、
心の底を押し上げる様に伸びやかで、
羨む程に晴れやかで、
飛び立つばかりに嬉しいと思ってしまうのです。