友達とのLINEで不意に言われた言葉があります。
「えみちゃんの好きな所はお金の使い方。
使えない所は使わないけど、ご飯に行ったり私の所へ遊びに来てくれる時はケチらない。
「旅行にも行こう!」って決めてくれる。
一人暮らしだとそれなりに大変だけど、
思い出にお金を使える女性って好きなんだよね」
その方に言われて、初めて自分で【自分】に気が付きました。
確かに、私が私に「やりたい」と決めた事に関しては、
自分はお金にまるで糸目を付けません。
自分が満足出来るレベルにまで、
お財布にはとことん付き合って貰う。
足りないなら稼げば良い。
だって、この感情でこの環境でこのタイミングで、「この人」が相手で、
今出来る事は「今しか出来ない事」なんですもの。
そこは「つづまやか」にはなりたくない。
楽しむなら最大級に楽しみたいし、
贈るなら最上級を贈りたい。
「残す」ものなら最高峰で残りたい。
何より、自分が自分に納得したい。
だから誰かに「気持ち」を贈る時や誰かと想い出を共有する時って、
投資の仕方が【湯水】なのかも知れません。
完全に底を抜いている。
意識的に排してる。
その方に指摘して貰えた時、景気良く【自分】が自分に腑に落ちましたし、
そうして今も私を見てくれている友達の事が益々好きになったんです。