言葉って本当に繊細で苛烈で、
刃にもなれば癒しにもなる。
だから言葉にするって、
それ自体が酷く怖いものでもある。
だけど言葉にしなければ伝わらない。
「察する」でも「知って欲しい」でも足りなくて、
やっぱり言わなきゃ分からない。
だけど人間は理性も知性も自制も抑制もその身に根付かせた生き物で、
コミュニケーションが人を傷付けるツールになり得る事も知っている。
それで受ける痛みの深さも、
その身を以て知っている。
だから野生の本能みたいな雨曝しの感情も、
明け透けで掻き捨てな言の葉も、
思った事をそのまま吐き出せる訳じゃない。
だから相手を傷付けないように、
それでも気持ちは伝わるように、
120%も200%も有る自分の中の熱量を抑えて押しとどめて抑制して、
それでも尚、染み出して来た想いだから、
滲み出した心だから、
それは雨曝しの感情よりも重厚で、
明け透けで掻き捨てな台詞以上に、
研ぎ澄ます言葉になるんです。