今持てる資金で何を提供して行けるのか。
それってきっとモノ作りを行う上で限りなく【背骨】に近い部分なのだと思います。
高い資金で高いクオリティーを生み出すのは至極自然な事で、ある意味「出来て当然」な事。
裏を返せば、「出来て当たり前」のものに人の心を動かす程の動力を持つのは難しい。
そしてだからこそ、
限りある資金の中で何を捻出出来るのか。
「制限ある中で何を届けたいのか」という【主旨からブレるもの】や【余分なもの】を一つずつ間引いて削ぎ落として、
【残したいもの】を追求して行った先に初めて自分が「渡したいもの」や「持ち続けていたいもの」に気付くのであって。
その「想い」が宿った時に漸く人の心を突き動かす【言動力】は生まれるのだと思うんです。
モノ作りは「あれも」、「これも」と思考が派生しがちですが、
肝要なのは足し算よりも引き算なんですよね。
雑然と、或いは鬱蒼と推挙する声達を引き算して行った時、
漸く引き出される【肉声】があるのだと思うんです。