【叱る】が他人軸であるならば、
【怒る】とはきっと自分軸。
「叱れる」という事は、他者の為に自らの労力を費やせる人という事で、
その為のエネルギーを燃やす時間に自らの人生を充てる事が出来る人。
そして「怒れる」人は、
自分の為に命を燃やす事が出来る人。
「こうされて腹が立った」のは
「こうされた事に傷付いた」から。
「こう言われて頭に血が上った」のは、
「こう言われた事がとてもショックだった」から。
【怒り】って、すなわち【悲しみ】でもあるんです。
それらの傷や痛みから自らの心を庇う為に突出するのが【怒り】という矛であり槍なのだとも思います。
傷付く事が出来るのは、
自分の気持ちを捨て置かずに居てくれる方へこそ与えられる【人権】です。
自分の気持ちに無関心であるならば【怒り】という能動にすら行き着けない。
自分の為に怒れる人という事は、
自分の為に生きれる人なのだという事を忘れたくないし、忘れないで居て欲しいと思うんです。