これまで生きて来た自分が【自分】を象る教材なり素材となって今の自分を成している。
そこに居るのは決して「努力して来た自分」だけではなくて、
学校を休んだり笑われたり、
夢中で何かを作った時間。
友達と成績を競ったり後ろ指を指されたり、
惰眠を貪った一日といった「これまでの自分」全部です。
自分を作っているのは「頑張って来た自分」だけではない。
「褒められる自分」や「やらなければいけない事をやって来た自分」ばかりでもない。
何もしなかったり仕事を休んだり諦めたり。
そうした先で【何かを作れている自分】が居る。
誰かが「好き」だと言ってくれる自分が居る。
今の自分に辿り着かせてくれたのは「努力して来た自分」だけではない事は、
既に今居る自分が証明してくれている。
だから嫌なら「嫌」と言って良いし、
やりたくなければやらなくて良い。
そもそも「こうでなければ」と選択や裾野を狭めたら、
本来の自分の【可能性】すらも狭めて行ってしまいますよ。