キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

夢とは、脳が見せる幻。時には願望、時にはいつかの忘却された記憶の一部

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何の脈絡も取り留めもない話。




自分って割と夢占いとか確認する事が多いんですよ。







というのも【夢】って私が思うに、

その日の出来事や記憶の整理、

感情の総括として脳から見せられる以外に、 


【潜在意識からのメッセージ】というイメージが凄く強いんです。



【自分が意識していない自分】からの信号であり意思表示。




だから日常生活の中で何かしらの「気付き」となったり「歯車」となったり、

何かしらの「拾えるもの」の手段として、

夢占いも参考にしているんです。




まぁ、とは言っても、

自分の場合は朝起きると大抵は夢の内容も、それどころか「夢を見た」という感覚でさえスッカラカンに消失しているので、


朝はいつも出勤前の身支度と並行して【夢を思い出す】、【記憶の感覚をまさぐる】という作業から開始される訳ですが。




そんな事をしてしている内に、

いつの間にか「そういう形」になってしまったと言いますか、


先週くらいからちょっと本格的に夢日記みたいなものを付け始めるようになったんですよ。




特段、「よし、やろう!」と決めた訳でも無く、

ホント自然に流動的に、

気の向くままにいつの間にか。



そこで気付いたのは、

自分が特筆して多く見る夢が、現時点で大きく分けて3つあるという事。


一つは【学生時代】、

もう一つは【電車(もしくは線路や踏切といった電車に関連付いたもの)】、

そしてもう一つは【アニメないし漫画】の夢。



学生時代の夢は大体、中学時代が7割で高校時代が3割。

夢の状況によって解釈の仕方も異なりますが、

夢占いでよく言われるのが「現状での不安や悩み」、「心理的ストレス」、それから「過去のトラウマ」。



多感な時期でもある中学時代の夢が大半を占めている辺り、

この結果にもあながち合点が行くと言うか、「あぁ、なるほどな」と思う節は多いのですが。



更に追記すると【漫画やアニメ】の夢に関しては「利己的な妄想や現実逃避」、「物足りなさを感じている」と言われる事もある一方で、「心が満たされている状態」と記載されている事もあったり、

「想像力や感受性、柔軟性が高まっている」と書かれている事も多いです。



こうして見ると、表現の仕方は異なれど、

総じて「現実を動かしたい」、「現状から押し進みたい」、あるいは「同じループから脱却したい」と考えているのかな、とも感じたり。



それ故の想像や試行錯誤の時間が自分に心の充足を与えている一方で

「独走や近視眼的になるなよ」、「利己的になるなよ」という自分自身へのある種の歯止めと言うか、

俯瞰的に見る事、全体像を常に確認する事を逐一【私自身】からの忠告として差し入れられているような気もします。




はたまた【電車】に関連付いた夢に於いては「人生」や「分岐点」、「目標」や「環境の変化」、「前進しようとする力」といった類のワードが圧倒的に多いんです。


全くジャンルの異なる夢でもこうして総括してみると、

実は似通った事を言われていたり、

要所要所で紐付けされていたり、

あるいは夢同士が互いの内容を補填していたりと、


点と点とが線になって伝わって来る事も多いんですよね。

一節の文章と言うか、物語というワンパッケージとなって目の前に提示されるんです。




そしてそれがまた、

新たな思考を切り開いたり視野を開拓したり、

自分を鳥瞰出来る一つの足掛かりとも成り得てくれる。






また上記の3点以外にも勿論様々な夢を見るのですが、


傾向も毛色もてんでバラバラの細々とした夢達があらゆる角度を以て異口同音に訴えて来るのが

「お前、体調崩すなよ」ということ。


「前進」や「現状打破」、「分岐点」といった語句を捉えた上でこの警告を顧みると、

正に指摘が的確なんですよね。


私の死角と言うか、

意識の埃が溜まりがちな部分にまさしく太刀を入れてくれる。



【大切な節目だからこそ基盤をぬかるなよ】と、

事ある毎に忠告して来るものだから流石に無視し切れなくなって来ると言うか、

後ろめたさが滲み出されて来ると言うか。


最近はようやく「食や睡眠も見直した方が良いかな」と自戒し始めていたりします。



夜更かしも卒業しまして、休日に関しては毎朝2時間のウォーキングを取り入れてみたり。

(一度日焼け止めを塗るのを怠って、二の腕が一日で褐色した時は些か震えました)






そんな自分ではありますが、

今日は一風変わった夢を見たんです。


と言うか、そもそもこれを「夢」と言い表して良いのかどうかもあやふやな部分ではあるのですが(第一、意識自体がおぼろですし)




簡単に言うと、

起きる直前に目の前に【言葉】が在ったんですよ。


【表示された】とか【現れた】と言うよりも、

【在った】んです。目の前に。




端的に一言。黒背景に白文字で大きく一行で。




それは意識状態で言えば、恐らく睡眠と覚醒を隔てたちょうど真ん中で。


瞬発的に「あ、これ何か言おうとしてるな」と感じた感覚も読み取った記憶も確かに覚えてはいるのですが、



その後の急速な意識の浮上に比例して、

脳内のメッセージもたちまち霧散して起床する頃には完全に忘れてしまったんです。

文字だけごっそり抜け落ちた感じ。


文字を見てから起きるまで、

その間、きっと一秒にも満たない一瞬の閃光ではあったのですが、

思い出せないのがとにかく悔しい。




でもその日の朝に起きたとある出来事を介して、

「これはあの時のメッセージを代弁してくれているんだな」というのは直感的に理解する事は出来たのですが。



と言うのも、実は数日前にもこれと似たような体験があったんです。


状況も今日の流れそのままで、

だけどメッセージは文字としてではなく、直接言葉で入って来たんです。



「寂しがってるよ」と。





これが自分に対してなのか、

特定の相手へ向けるものなのか、

はたまた誰かからの伝達なのか。


ただ何となく、「この事に対して言われているのかも知れないな」という心当たりは自分の中であるのですが、 


いかんせん只の私の勘ですし、

何だったら思い込みでもありますし、

決定打に欠ける部分というのはどうしても拭い切る事が出来ません。



気軽に連絡が叶う状況でも間柄でも無いというのがまた歯痒いと言うか、如何ともし難いところです。




とは言え、近頃見る夢や最近の周りの環境、今日見たメッセージと掛け合わせても、

やはりこの一言が何かしら関連付いた言葉ではある気はしているのですが。






あれやこれやと話が分派しましたが、

結局は何をお伝えたかったのかと言うと、





自分を知る事が辛かったり

【向き合う】という事が酷く怖いものであったり

あるいは向き合い方が分からないという方もいらっしゃるかと思います。



【向き合う】という事は、

ご自身の心を傷付けてまで、潜在意識を汚してまで行う事では決してないんですよね。



それを飽くまで念頭に置いた上で、

一つの選択の内として敢えて載させて頂くと、



最近の経験を経て、

【夢】というツールを使う事により

違う視点から別の角度から

ワンクッション置いた状態で自分を知れる切っ掛けや、

俯瞰的に見られる手立てにも成り得るのかも知れないな、と思ったんです。




そもそも夢自体が辛い内容である場合もありますし、

夢の内容を辿る事で思い掛けず地雷を生んでしまう事も、手放せた筈の記憶を呼び起こす要因とも成り得ますから、


勿論一概には言えませんし推奨している訳でもありません。



ただ、私自身のふとした経験を通して、

この記事に居合わせて下さった方が「こういうやり方もあるんだな」、「こういう考え方もあるかも知れない」という【生き方】の手立ての一つとして心の隅に掠めて頂けたなら、


経験を共有させて頂けるなら、



私に取りましては身に余る喜びでもあると思い、

一文章として残したいなと思ったんです。





夢を覚えていたり思い出したり、

ふとした景色や電車の中吊りに目に止まったり、

「何か分からないけど」気になったり。


自分的には直感や感覚って、

理屈や裏付け以上の信憑性と説得力があるんです。



そもそも直感や第六感って、

自分に必要な情報だからもたらされるものなのだとも思っています。



自分が「そう」だと思うか思わないか、

背景の一つとして流れるのか留まるのか、



自分の捉え方で、きっと【自分の知り方】って幾らでも分派して行けるのだと思います。



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