普段身に着けているブレスレットの一つに、
「モルダバイト」という品種の天然石があります。
深緑色の綺麗なガラス。
これの起源は1,450万年程前で、
小惑星が地球に衝突した際に、溶け出した地表と隕石が混ざり合う事で生まれた鉱物だと言われています
そんな石が今自分の手首や胸元に納まっているのかと思うと、
とても壮大で不思議な気持ちにさせられます。
少なくともこの子が生まれたのは今から一千万年以上前で、
もし生まれ変わりというものがあるのなら、前世も前々世もそのまた前も更に前も、私が何度も死と転生を繰り返している間にも、
この子はずっとこの子のままで。
だから私にとってのこうした石達は何となく、【魂の先輩】というイメージがしているんです。
だからきっと身に着けていると落ち着くし、心強くもあるんですよね。
それは多分お守りの様な存在でもあって、
家に置いているぬいぐるみの様な、相方みたいな立ち位置でもある。
隕石の衝突から石の形成まででさえ、きっと何十年何百年と掛かるのに、
そこから更に年月を掛けて人から発見されて発掘されて拾われて、
職人やバイヤーや数多の年月と人の手を渡り、自分の手元へやって来る。
これは人や仕事や夢や住まいや、凡そ全般に通じる事ではあるのですが、
こうした出会いや結び合いと言うものはやはり、
どうしても強い【ご縁】や【引き合い】の様なものを感じずには居られません。
この石はきっとこの先も、
ずっとこの世界を見て行くのだと思います。
私が死んだ後も、
誰かの手に迎え入れられて行く時も、
いつか土に還るその時も。
石には「意志」があると言われる事もありますが、
私がこの体で生きている間は、私からこの子に何か意志を灯す事が出来たら良いなと思うんです。
その意志がこの子の意志にもなって、強く結び合って行けたら良い。
引き出し合って行けたら良いし、
引き立て合って往けたら良い。
余談ですが、私がよく物や動物に対して「~さん」と呼んでしまうのはこういった理由も少なからず由来しているのだと思うんですよ。
動物にも物にも植物にも、魂があるし魂の意思がきっとある。
例え魂が無かったものだとしても、
作り手や持ち手の意志や気持ちは必ず流れるものなのだと思っていますし、
宿るものだと信じています。
そうした意志や命や作り手の想いを尊重する意味で、
自分は物にも動物にも植物にも「~さん」という敬称と付けて呼んでいるのだと思います。
この子の傍に居れる間だけは、
なるべく色々な場所へ連れて行ってあげたいし陽の目も浴びせてあげたいし、
人に会わせてあげたいし経験させてあげたいです。
この子が辿って往く歴史のほんの断片に、
【私】が居れたら良いなと淡くも願ってしまうんですよね。