あわよくば、自分はあと50年は生きていたい。
せめてあと50年は全うしたい。
それでも裏を返すなら、
もしもこの先添い遂げる人が居たとして、最大であと50年しか一緒に居られないのかと感性の四隅で思ってしまう。
あと50年程度しか、自分は【自分】と一緒に居られないのかとも。
「も」ではなく「しか」と表現する当たり、
聞く人に拠っては「欲深」と思われてしまうのかも知れないけれど。
それでも自分にはそれだけ思い残すものを【此処】に置いているという事で、
未練を引いているという事でもあって、
自分の人生に【希望】を残しているという事なのだと思う訳です。
人の寿命を日数に置き換えた時の平均は凡そ30,000日。
その内の幾分かを【誰か】に置けて行けたなら、
自分にとっての思い出が誰かにとっての【思い出】としても通じていて、
互いの記憶の中に互いを置き合う事が出来たなら、
こんなにも愛おしい時間の作り方なんて無いのではないかと思うんですよね。