これは自分自身への自戒として口癖にしている言葉でもあるのですが、
元来、「伝える」よりも「受け取る」方が余程大変だと思うのですよ。
言葉の奥にある真意や本意、
文字で塗装された奥に在る本質の想いを汲み取ったり、
かたく結ばれた文字列を読み解く作業はどうしても必要になるものだから。
【文字】って時に暗号でもあって、
直球で言えない想いだとか、
言葉として形容し難い深部が字体の奥に置かれてもいる。
それらに触れる為の時間や気力や忍耐力を、
私もまたDMやお手紙をしたためる時にお相手自身から頂いているのではないかと思います。
伝える側には腹の内を開示して、
心の底を打ち明ける体力も持久力も精神力も、
胆力も瞬発力も求められる。
それに輪を掛けて頂戴しているのが、
事前の予告も準備もなく、
これを受け取って頂いて読み取っても下さっているお相手自身の【心】なんです。
心積りも腹積もりも、
私は「伝えたいもの」を持っているから話しているし、
「聞いて欲しい」から書いている。
だから極論を言ってしまえば、
自分の【文】をご一読下さる時間と意識を頂いているその時点で、
私は既にお相手から【お返事】を頂いているも同然で、
その方の【お気持ち】を頂いているのと同じなのだと思うんです。