キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

心象スケッチ

意志の伝達と聞く努力

ファンにはファンからの視点でしか観えない景色があるように、アーティストにはアーティストだからこそ観える景色と死角がある。それを伝え合う機会と時間、総じて【足並みを揃えられる場】を設けなければ、認識は擦れ違い、理解は誤解へと展開し、着いて行…

1.17を迎えて。

漢字の読解すら儘ならなかった当時。テレビを流れる「地震速報」の帯と字幕越しの市街地は、当時の自分に取ってまだ遥か遠い地の出来事だった。時を経て歳を重ね、「地元」と言う名の箱庭から出た先で、かつての渦中を生きた人々の生の声を聞く様になった。…

「諦める」へのタイミング

諦めるという事は「明らかになる」という事です。「無理」の定義は社会が決める事では無く、自分の中の【解釈】と【見切り】が大前提の話ですが、出来ないと分かった時もう無理だと踏んだ時人は初めて【諦める】発する言葉を失くした時は、自分が見切りを付…

指を差してはいけない理由。

対象の人物を指し示す時「人を指差しちゃいけません」と言う事や言われる事ってあるのではないかと思います。由来は諸説ありますが、もしも自分がこの理由を求められたとするのなら、私はきっと「お相手に【威圧感】を与えるから」と答えるのだと思うんです…

心身の循環の為に必要な術

少なくとも自分の場合、【心の精算】は【言葉の生産】でしか果たす事が出来んのですよ。

与えられるものは与えてやれ。

思考でも筋力でも、【体力】を持て余すのではなく傾けられるお相手が居るというのは、自分自身へ注ぐ事の出来る【充足】でもあるんですよね。浪費ではなく消費出来る人が居る。徒労ではなく疲労で在れる自分が居る。貰えるものは貰うのではなく、与えられる…

知識とは意識の【改革】です。

スーパーやコンビニで偶に頂く割り箸って、作りや材質によっては真ん中で割り易い物や左右どちらかに偏って割れ易い物など色々あるかと思うのですが、私が小学生の頃、この割り箸の割れ方によって好きな人に想われているかを占うという遊びが一時期流行した…

「決断する」とは「やらない」事を「決める」事。

2~3ヶ月振りの【完全オフ日】という幸せに浸っております。 何もしないし何もさせない。 取り留めも無い事を考えて居られる今が最高に豊かな時間です。 「決断する」とは【断つ】事を【決める】という事で、 【ことわる】事を【決める】事。 それは転じて、…

引き算によって引き出される。

今持てる資金で何を提供して行けるのか。 それってきっとモノ作りを行う上で限りなく【背骨】に近い部分なのだと思います。 高い資金で高いクオリティーを生み出すのは至極自然な事で、ある意味「出来て当然」な事。 裏を返せば、「出来て当たり前」のものに…

普遍に寄り添う不変の言葉。

役者さんの台詞でも同じ様な事が言えるのですが、 同じ台詞を何度も言っていると【慣れ】が出て来てしまうと言われる事があるんです。 何度も繰り返し言っている【言葉】は飽きてしまうと言われる事もまた然り。 だけど同じ【型】を口にする度に新たな発見を…

子供心に学ぶもの。

6〜7歳くらいの頃、 母と姉の影響を受けて視聴していた【家なき子】 その主題歌が中島みゆきさん作詞作曲の【空と君のあいだに】という楽曲だったのですが、 その曲中にある「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」という歌詞の意味を、 自分は暫く理解出…

視点が自分の【支点】と成る。

常に前向きでいるのは勿体無い。 折角首を回せるのだから、 踵(きびす)を返す事だって出来るのだから、 見方を固定すれば景色まで制限してしまう。 心も体も凝ってしまう。 上向きや逆さま、後ろ向きという角度だからこそ見える【景観】があるんです。 あ…

失敗と躓きの還元先。

弊社のチーフはご自身のふとしたミスを切っ掛けに、 「何故これがミスなのか」、 「これによってどの様に損益に影響するのか」 というのを時折お話して下さるんです。 その中にお得意様や二次店様間でのやり取りや、それに伴う価格設定の変動等、 流通の細や…

1%の【意義】は99%の無駄に支えられて生きている。

不意に掴んだ1%の【結実】が偶然の産物だったとしても、 それが産まれたての赤子でも成し得られた事なのかと言えば、 きっとそうでは無いんですよね。 そこにはこれまで踏んで来た「地表」と「空気」と「筆跡」と、 交錯して来た「実像」がある。 自分達の生…

「持ち合える」ということ

自分が好きだと思う相手にこそ嫌なものは「嫌だ」と伝えられるよう努めたいし、 相手の嫌なものを「嫌」と言わせてあげられる自分を目指していたいとも思う。 互いは常に違(たが)うもの。 だから趣味嗜好も食べ物や映画の好き嫌いも、 異なる感性を持ち合え…

2エピローグ5エピソード

下から上へ。 親指を滑らせる画面の下で流れる万目の川を目にした時、 いの一番にこの身を過ったのは、 「この先もう、あの方々の笑顔に出会えなくなってしまうのかも知れない」という途方もない不安と、 身体の先から凍えて行く様な果てしなく始まる恐怖で…

エゴで「生き合える」のが人間という生き物です。

この国という秩序の下で産まれた以上、 この国の法律や倫理の中で育てて頂いて来た以上、 私の思考も又、自分の生活環境や教育の中で偏向し傾倒し培われた「偏った価値観」である事に変わりはありません。 自分の言葉は常に【エゴ】で【思い込み】で、 誰か…

ある人へ向けて。

今回の一件につきましては、私もショックが大きいですし正直まだ言葉が見付かりません。足先から血の気を引き抜かれて行く様な感覚が未だに治まらないんです。だから、拙い言葉を一つ一つ置かせて下さい。書きながら、文字に変換して行きながら、少しずつ心…

365日の誕生日達へ。

あなたが産まれた時、周りに居た方々はきっと、誰もがあなたのお母様に「おめでとう」を届けて下さっていた筈です。21年前のお母様にとって、あなたは間違いなく【天からの授かりもの】だった。【あなた】という存在そのものがプレゼントだったんです。「子…

かたく結ばれた文字列を解体していく作業の事を、きっと「読む」と言うのではないかと思います。

これは自分自身への自戒として口癖にしている言葉でもあるのですが、元来、「伝える」よりも「受け取る」方が余程大変だと思うのですよ。言葉の奥にある真意や本意、文字で塗装された奥に在る本質の想いを汲み取ったり、かたく結ばれた文字列を読み解く作業…

お互いの意識の中に居られる時が、お互いが【存在】出来る時間でもある。

あわよくば、自分はあと50年は生きていたい。せめてあと50年は全うしたい。 それでも裏を返すなら、もしもこの先添い遂げる人が居たとして、最大であと50年しか一緒に居られないのかと感性の四隅で思ってしまう。あと50年程度しか、自分は【自分】と一緒に居…

【不調】とは、自分の土壌を育む為に欠かしては成らない養分でもあるんです。

心身の健康を保つ事は勿論生きて行く上での第一優先であって、会いたい人に会うにしても行きたい場所へ行くにしても、或いは【受け取る】にしても【与える】にしても、自分が「やりたい」と思える事を【自分】に選ばせてあげる為にも、それらが「叶う」工程…

誕生日とは、【感謝】を伝えられるチャンスの日。

自分の生活や考え方、在り方が習慣化していくと、それらに次第に身体が順応し始めて、自分の【重み】が知覚出来なくなって行くもので。その重みを目の前に突き付けてくれるのが、周りに居て下さる方々なのだと思います。その方々の重みに気付かさせてくれる…

救われる自分が居るという事実が、その人にとっての【救い】になってくれたら良い。

とある方とのDMを介して改めて感じた事。 「誰かの救いになれている」って、 それ自体が自分にとっての【自信】になるし【救い】になるし、 【生きる気概】になるんですよね。 だからその人のお言葉で救われる私が居るという事実が、 同時にその人にとっての…

「定番」を受け取れるという喜びと、「当たり前」を贈れる勇気。

花好きの母さんには、母の日には毎年品種を変えた花束を贈るというのが通例でした。 お花以外に関しては食べ物でも装飾品でも、 物欲を一切口にしない母なので、 毎年の誕生日はいつも贈る物に悩むんです。 和菓子を贈ってみたり、 はたまた誕生石のブレスレ…

意見を言う以上に意見を「聞く」方が余程気力が要るんです。

最終的な結末が「不可能」でも、 間引きや断念などの「決断」をせざるを得ない結果に行き着く事になるとしても、 最初の一線を超えた状態から現状や意見を踏まえた上で【枠】に収まるよう努めるのと、 初めの一歩目から【枠】の中に収まるのとでは最初の【絶…

【アーティスト】の定義

物凄く自然な事で、今まで自意識に留めた事って殆ど無かったと思うのですが、 とある方が切っ掛けで、 そしてお得意先の宛名を書いていた時にふと自覚した【心掛け】がありました。 それは、文字を書く際は書き順を初め、「反り」や「止め」や「跳ね」、「払…

もう来ないものに対して【拒み】や【辟易】なんて感じる事は出来ないんです。

「明日なんて来なくて良い」と思えるのは、 明日も【陽】が来てくれるから。 時に【希望】を疎ましくさえ思えるのは、 「励まし」を唄う人が居てくれるから。 「温かみ」を配る人が見えているから。 もう明日が来ないとして、 変わらず「明日は要らない」と…

大好きな人が、皆が思う「大好きな人」になってくれる日。

何気なくテレビを観た時の事。 自分が応援させて頂いているアーティストさんによく似た面立ちの方が視界を掠めたものだから、 思い掛けず心臓が鼓を打った。 「いや、ちょっと痛いわ」と自己突っ込みを入れたくなる程度には強い胸のときめきだった。 一度き…

誰かの心のゆとりって、そのまた誰かの心遣いによって保たれるものでもあると思う。そうして互いの均衡は補い合えるのだと思う。

忙しくても終始心に【ゆとり】を保った状態で仕事を運ぶ事が出来るのは、 自分の周りにおられる方々が細やかな気配りをして下さるからなのだと思う。 「何度も電話してごめんね」 「教えてくれてありがとう。助かった」 「申し訳ないのだけれど、もう一つ調…

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