キツツキゲーム

後悔は気付き。 気付きは教訓。 教訓は学び。学びは成長。

後悔も気付きも傷付きも、
すべては自分を豊かにしてくれるゲームである。

心象スケッチ

時に【習慣】から自分を抜いてあげる事も、生きて行く上で大切な【習慣】だと思うんです。

「やりたい事」を自分に我慢させてあげない為に始めた副業。最近は週末も仕事を入れているので完全な休日というものを殆ど取っていなかったのですが、そうすると偶に空く【休日】に対して徐々に首をもたげるのが、「何もしない」事へ対する不安感。個人的に…

愛される自分になる為の愛される努力を、誰が嗤うと言うのでしょう。

「人の為」と書いて「偽善」と読むなんてよく聞く言葉ではありますが、その真意って詰まるところ、「人の為」になりたい自分の為でもある訳で、「誰かの為になりたい」という建前の後ろに「誰かに求められたい」自分も居るから【偽善】なんて皮肉られる事も…

「人の為」の【人】にはきっと、「自分」も含まれているんです。

自分の為に働ける自分って、本当に恵まれていると思うのです。片や「誰かの為」だと謳いながら、それはつまり「誰かにしてあげたい」自分の為でも訳で。誰かに「してあげたい」と思える自分の為に働く事が出来るって、動き出せる自分って、幸せでもあり誇り…

真面目で勤勉であるからこそ、口伝えられて来た言葉。

「いい加減」も「適当」も、 本来、雑な表現でも無ければ投げやりな言葉でも無いんですよ。 「いい加減」は【好い加減】 「適当」は【適材適所に当たる】という事。 力を抜くにしても無理をするにしても、 心身のバランスを保つ為に相互の抜き差しを測る事。…

【失敗】の意義はたった一つ有れば良い。

昔仕事でヘマして落ち込んでいた自分に姉が言ってくれたのは、「自分が思っている程、周りは自分の事を見ていない」ということ。20歳の頃恩師に教えられたのは、「一度目の失敗は【失敗】ではなく【教訓】と呼ぶ」のだということ。自分の考えが及ぶ程、周り…

年を経る毎に深まる皺は、これまで悩み考え笑い、今日まで本気で生きて来たという人生の軌跡。

暫く目の周りだけ力んでいた所為か、眉間の皺が深まった様な気がしてならぬ。ムスカ大佐の某名言を叫び散らす程度には絶賛外眼筋が痛ぇです。それでもやっぱり「ワクワク」と「楽しさ」に勝るものってないんですよ。これで本当に眉間の皺が増えたとしても、…

今日の路上を終えて。

今の環境下関係無く、深夜23時過ぎ。人の往来も疎らになってゆくこの時間帯に大勢の若者達が道の上に留まっている。只それだけで、何も知らない道行く人々から見れば些か異様な光景なのではないかと思います。それは、巡り巡って【路上】そのものへ対する心…

言葉に出してあげる事で、人の心は生かされる。

「苦しい」とか「辛い」とか、 弱音を吐きたくないと思う事もあるかも知れませんが、 それなら初めからこんな言霊は生まれてないと思うんです。 「苦しい」という台詞も「辛い」という発言も必要だから在るんです。 求められたから生まれたんです。 だから苦…

休止とは止まる事ではなく、「下積む」という事です。

【武者修行】、あるいは迎えたい景色を迎える為の【通過儀礼】 そんな表現が、今の自分の心象としては一番近しい言い回しになるのでしょうか。 この場で「回り道」という言い方を使用するのはとても本意ではありませんが敢えて引用させて頂くのなら、 大きく…

「分かる」か「分からない」かが重要じゃない。 「分かりたい」と思える心向けが肝なんです。

「自分が分からない」と言う事も、 「どうしたいのか分からない」と聞く事だってありますが、 生まれてからものの数年や数十年で自分を分かれる筈が無いんですよね。 回を重ねて相手の人となりを知って行くのと同じ様に お母さんが我が子と一緒に母親になっ…

「倣う」、「倣わない」を「意見する」、「しない」の判断材料にはしていない。

基本的に相手に意見する時は、自分が相手に期待する時。 これは相手が自分の考え方を「許容してくれる」という意味での【期待】であって、 自分の発言に「倣ってくれる」という紙背を含んだ【期待】という意味では断じて無い。 そもそも「倣う」、「倣わない…

本気で心を動かす人を、 人は【アーティスト】と呼ぶんです

スポーツでも文学でも宇宙探査でも音楽でも、 決して誰かに求めらて生まれた訳でもなければ要望されて作り出されたものでもない。 必要だから生まれたんじゃない。 「やりたい」から生まれたもの。 【好き】や【好奇心】が生み出し、究め、探求し、 その時代…

決して「救えない」国じゃない

一週間程前、 生まれて初めてカード情報を盗まれるという経験をしました。 相手方はどうやら女性物の服を購入されようとしていたそうですが、 不正利用モニタリングに検知された為に購入はキャンセル。 カードも直ちにロックが掛かり私自身への実質的な被害…

「出来ない」を知るという事は、 底尽きた足元に【穴】を開けてくれるという事。

「知っている」という事は、まだ知らないものを「知らない」という事。「知らない」という事は、まだ知らないものを知っていく事が出来るという事。出来ない事だらけ。知らない事だらけ。分からない事だらけ。「出来ない」を知るという事は、底尽きた足元に…

【自分】の一番のファンは自分。

自分の感情に一番繊細で一番影響を受けて一番振り回されるのは自分なんです。誰よりも【自分】を感じてるのは自分なのだと思うんです。「夢を叶えたい」「大切な人の笑顔を見たい」その意思も願いも、元を辿れば「自分の幸せを感じたい」という根本に辿り着…

「皆」という言葉には、必ず【自分】も含まれる。

皆の幸せを願う時、その「皆」には自ずと【自分】も含まれる。自分を除外したら、それは【皆】にはなれない。親であれ友達であれ恋人であれ、自分が誰かの幸せを願う様に自分の幸せを願ってくれている人は必ず居る。だから自分の幸せを後ろ回しにした時、自…

七夕は、織姫と彦星が【幸せのお裾分け】をして下さる日。

梅雨の時期と重なるという事もあり、 七夕は例年、曇りや雨のイメージがどうしても拭えませんが、 雲の上は天気も関係ありませんから。 7月7日に雨が多いのは、 一年に一度だけ逢える織姫と彦星が何ぴとにも邪魔される事なく二人の時間を育めるよう、 雲と…

不完全の「不」の部分に、人が【力】を生む動力源はあるんです

初期設定で既に完成されているのなら、 【頑張る】必要もないんです。 力を生み出す必要がない。 痛みを伴わずとも大成出来てしまうなら、 誰かの痛みに共感する事も同調する事も、 感情を分かち合う事もありません。 完璧じゃない人が「完璧」を目指すから、…

相手の意志を問う前に、まずは自分がどうしたいか。

「私のこと、好き?」と相手の気持ちを聞くよりも、「あなたが好きだよ」と自分の気持ちを【渡せる】人を目指していたいと切に思う。

諦観ではなくそれを嘆ける人で居られるように。

コロリや肺病、スペイン風邪に天然痘。 今よりほんの少し昔、或いは遥か昔の方々が乗り越えられて来た災害や感染症。 当時はその場ですぐ連絡を取れる様な媒体は確立されてもいない時代で、 会いたい人に会う事はおろか、 連絡一本叶わなかったその頃の人々…

週末でさえ、自分の時間に【私】を置いてくれる人がいる。

今日出勤すると、ふと所長から訊かれました。 「実家の方は大丈夫だったか」と。 自分が実家に居た頃利用していた最寄り駅の路線は、地域によっては線路がちょっとした崖に面している場所もありまして、 地盤も決して頑丈ではなかったので、雨が続く日は土…

ハッピーエンドが決まっている物語の上で起こるハプニングなんて、【見せ場】以外の何ものでもありません

「幸せ」という文字は『一』と『十』の間に『立つ』事で組み上げられる一つの言葉。人生はハッピーエンドにしか成らんのですよ。一から十の間に立っている以上、生きている以上、人は【幸せ】にしか成らんのですよ。「結局幸せになる」というベースの上で、…

与えるのは魚ではなく竿の使い方。教えるのは答えではなく考え方。

時には叱りも意見する事もあるけれど、 「従順」になって欲しい訳では無い。 「正解」にしたい訳でも「ディベート」をしたい訳でも無い。 只、自分から見える【視点】の一つをお裾分けしてみたいと思うだけ。 【選択】や【可能性】の一端を共有する事で、 噛…

自分の経験した結果を提示するよりも、相手自身の実感と体験の方が余程【価値】になり【身】にも成る。

普段は姉から「水溜まりには入らないでね」と言われていた姪っ子。 ある日、雨の中二人で郵便局へ行った帰り道、 「私がママに謝るから水溜まり入って良いよ」と言った時に長靴で思い切り水溜まりの中へ飛び込みはしゃいでいた姪っ子は本当に嬉しそうだった。…

誰かに「してあげたい」と思うのは、自分に「させてあげたい」と思えるのと同じなんです

人生を懸けて【想える人】が居るって、 生涯を懸けて【自分の心を喜ばせてあげられる】という事でもあるんだよなぁ。

「止め」や「跳ね」や「払い」を以て、文字も人も表現を持ち、【表情】を持つ事が出来るんです

例えば文字を書くにしたって、同時に二画は一緒に書けない。書けるのは常に【一画】ずつ。その一画は時に「止め」も「跳ね」も「払い」もしますが、そのどれもが「文字」という【表現】を表す上で欠かす事の出来ない【要素】であって、 失ってはいけない【一…

常に【最幸】を目指せているのだから、その道すがらに出くわす出来事や感情が「最」にならない訳がないんです。

「不幸になりたい」と願う人なんて居ないんです。 皆幸せに成りたいんです。 幸せを目指して生きてるんです。 「目指せている」という事はつまり、 そこに向かって歩けているという事です。 ピントを合わせられているという事で 目標を置けているという事で…

「悩める」という事は、それ以前の選択肢である「やる」「やらない」や「やりたい」「出来ない」といった選択肢を介した先で、漸く手に取る事の出来る【感情】で、選ぶ事の出来る【悩み方】でもあるんです。

生きている事が既に大義なのに そこに【夢】を上乗せ出来るって、 メーターの針振り切れる程に「極まりない」事なんです。 夢を持っている、持っていないに関わらず、 その有無を問える現状に居られるという事が その選択肢を有しているそれ自体が この身に…

こうした出会いや結び合いと言うものはやはり、 どうしても強い【ご縁】や【引き合い】の様なものを感じずには居られません

普段身に着けているブレスレットの一つに、 「モルダバイト」という品種の天然石があります。 深緑色の綺麗なガラス。 これの起源は1,450万年程前で、 小惑星が地球に衝突した際に、溶け出した地表と隕石が混ざり合う事で生まれた鉱物だと言われています そ…

皮膚が柔らかいのと同じ様に、心だって柔らかいものなんです。体に血が通っているのと同じ様に、心には常に感情が通い続けるものなんです。人はそれを、「生きている」と言うんです。

「傷付き易い」や「落ち込み易い」とは言うけれど、 元来、傷付く事に心身の差は無いんです。 押されれば体もグラつくし、 ぶつかればちゃんと痛いんです。 特別とか劣ってるとかじゃなくて、それが普通。 それが人間。 それが生き物。 それが「生きてる」っ…

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